見出し画像

わからない未来に囚われすぎない〜緩やかにしなやかに〜

がんになる前、なってから、妊活中、色々なタイミングで思っていたこと。「もしかしたらこの先、〇〇かもしれない。(〇〇しないかもしれない)」これは呪縛みたいなところがあって、考え始めると頭の中がグルグルしてしまう。

例えば、私が20代後半で仕事に没頭していた頃。周りは、結婚が決まったり、転職して新しいチャレンジを始めたり、年齢的にも様々な変化が起きやすい時期でもあったが、私は常に悩んでいた気がする。「もしかすると1年後には結婚するかもしれない。」「もしかすると1年後にはいきたい部署に異動できるかもしれない。」この時は、この2つのことをほぼ同時に思っていて、且つそれはどちらか一方しか叶えられず両立は出来ないだろうと思っていた。(遠距離恋愛だったし、行きたい部署は激務だったため、勝手にそう思いこんでいた)結局、そのままずるずると答えのないままに時は過ぎ、異動の話が先にやってきた。やりたかった仕事ができる嬉しさでさらに仕事に没頭して、さらに時は経ちこの時の方と結婚をすることはなかった。(もちろん、忙しさだけが理由とは思っていないが。)

例えば、私が30代前半で癌になった時。突然の宣告に驚き悲しみ、また呪縛のようにぐるぐると考えた。「もしかすると、数年後に転移再発するかもしれない。(しないかもしれない)」「もしかすると、仕事を続けたらがんが進行するかもしれない。」この時は、確定診断が出ていない時でさえも、自ら勝手に”もっとも最悪の状態”想像し、勝手に不安を煽っていた。

例えば、私が30代半ばで妊活を始めた時。不妊治療も長くなりモヤモヤしたいた。「もしかすると、来月に妊娠するかもしれない。」「もしかすると、ずっと2人の人生になるのかもしれない。」新しい仕事のチャンスが来そうなのに妊活と両立は出来ないかもしれないし、産休育休になると・・・。こんな風に、妊娠もする前から”もしかすると・・・”と考えることが多々あった。

様々な場面で、「もしかしたらこの先、〇〇かもしれない。(しないかもしれない)」という呪縛に悩まされ、どの選択をどのタイミングでしたらいいのか、わからなくなることがあった。期待、不安など色んな気持ちを抱えたまま。

こうした事を重ねていくうちに、徐々に自分の中で整理できてきた事がある。それは、あまりに「〇〇かもしれない」に囚われすぎて不必要に心配したり、行動を制限する事は、ものすごく勿体ないことなのではないかという事だ。「妊娠しないかもしれないのに、ずっと体への負担がかかるからと仕事をやらなければ、妊娠しなかった時に仕事のことはその間何も前に進んでない。」ふつふつとそんな事を考えるようになった。だったら、〇〇した時も〇〇しなかった時も、そうなった時にまた考えて動けばいいと。

未来がどうなるなんて、本当のところは誰にもわからない。事象が大きいが、誰もコロナでこんな世の中になるなんて想像していなかったはずだ。だからこそ、起きるか起きないかわからない未来に囚われすぎず、その時に自分は今どうしたいのかを考え緩やかにしなやかに行くのが良いのかもしれない。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?