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三線(俗線、洗心線、清線)

小笠原流煎茶道のデザインの美しさには、道具のデザインの美しさ、茶室の設え、茶器の配置など目に映るデザインとしての美しさも多くあるが、小笠原流煎茶道のお点前がどのような基本デザインに成り立っているのかを考えてみた。 


■三線とは、すべての小笠原流煎茶道のお点前に一貫した型の体系を生み出す美しさの基準
小笠原流煎茶道のお点前で最初に学び、そしていつでも意識する3つのライン、三線がある。
小笠原流煎茶道で最初に学ぶことの一つに「三線」という事がある。三線とは、「清線」「洗心線」「俗線」という三つで、意味合いは、「俗なる心を洗い流し、清い心持ちでお茶を淹れる」というお点前の心持ちを表す言葉である。一方で、三線はお道具の配置の目安としてお点前で常に意識するものでもある。例えば、お稽古をを始めると、お道具の配置やお点前中の所作の中で、「涼炉、烏府(炭籠)と同じ洗心線上に建水を置く」「洗心線を挟んで水差しと建水を置く」「お茶を淹れる時にお茶碗は清線上に並べる」「盆巾筒、お茶卓は洗心線に並べる」といった様に、何をどこに置くのか、何が並んでいないといけないかを三線を規準に指導される。実は、初伝で最初に学ぶ丸盆点前から免状をいただいてから学ぶ奥伝、別伝のすべての小笠原流煎茶道のお点前で三線のないお点前は無い。つまり、どんなお点前でこの三線を規準としてお道具の配置、お点前の点順が構成されている。小笠原流煎茶道のお点前が、規準としての三線を外すことなく一貫した体系となっている美しさは目でみた配置だけでなく、どのお点前であっても守られている統一感の美しさがそこにある。 

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■洗心の語源
俗線、洗心線、清線という3つの言葉の意味合いから、俗から清に転じる「洗心」が重要なキーワードと考えられる。洗心という言葉はいつ頃、どこで生まれたのだろうか。国立国会図書館のデータベースによると「洗心」の語源は古く、紀元前5世紀頃に孔子が『易経』の意義を説いたと呼ばれる『繋辞伝(けいじでん)』にみることができる。

 聖人以此洗心 退藏於密(『易経 繁辞上伝』 第十一章)
 聖人は此を以て心を洗い、密に退蔵す

聖人は、この易の徳もって我意を洗い去り、一歩退いて、自己の行動の選択を、天道の精密な動きの中に包蔵せしめるべきである。
<引用:本田済著『朝日選書中国古典選易』朝日新聞出版(1997)> 
(「この易の徳」とは、蓍(めどぎ)=筮竹(ぜいちく)、卦、六爻(ろっこう)のこと)

また、同じ頃、『後漢書(5世紀中頃)』順帝記にも「洗心自新 (せんしんじしん)」という言葉がみられる。

 洗心自新 (『後漢書 順帝記』)
 心を洗い自ずから新たなり

自分をみつめて心に留まっていることを洗い、生まれ変わった新しい気分でいくことといった古典に「洗心」という言葉がみられる。

また、『茶席の禅語大辞典(有馬頼底監修、淡交社、2002年刊)』に「洗心」は、『心の塵を洗いおとすこと。心の煩累を洗い去り浄めること。また、改心すること。』と取り上げられていることから禅語としても用いられていることが分かる。
<引用:有馬頼底監修『茶席の禅語大辞典』淡交社(2002)

■形を超えた美しさを感じる道具の配置と三線の意味
お点前におけるお道具の配置と三線の関係も興味深い。俗線に置くものは茶托や盆巾筒などお茶碗の下に使うものを並べる。汚れ役とも言えるお道具がここに並ぶ。洗心線には涼炉と湯沸、烏府(炭籠)、水注、建水といった水やお湯に関するものを並べる。水を沸かし、お湯で茶器を洗い流しながら心を洗い流す、そんな意味合いも読み取れそうである。清線にはお茶碗と湯沸を並べる。お客様の口にするものが並んでいる。この様に、三線のそれぞれの意味とそこに並ぶお道具の役割や意味合いが結びついていると感じさせられるのも興味深い。お点前の道具の配置と三線の名前に意味合いをもって結びつけて全てのお点前を組み立てられていることは見た目の美しさだけでなく、形を越えた美しさを感じる。 


■清線、清線、清線・・・お点前で必ず意識する三線
お点前をする時、三線は道具の配置の基準としてとても重要なので、常に意識するものである。先に述べたようにお稽古の時に、「清線上にお茶碗を置いて・・・」「清線に合わせてお盆に一煎目を出して・・・」と繰り返し指導されることを通じて、学ぶ者は、お点前をしていても自然と「清線」「洗心線」「俗線」と心の中でつぶやいてしまう。実はこの「心の中のつぶやき」がとても大事だと思っている。お点前をする時に、特に一番心に浮かぶのは三線の中でも清線である。清線に揃えて・・・清線の延長上に・・清線、清線、清線。そのとき、頭の中に常に「清」という言葉が浮かんでいる。頭に浮かんだ言葉が自然と心にも反映されると考えてもよいだろう。つまり「俗なる心を洗い流し、清い心持ちでお茶を淹れる」ということが無意識に心に染みわたっている。小笠原流煎茶道のお点前をすれば、お道具の準備、お点前を始める時の展開、そしてお茶を淹れてお茶をお客様にお出しする時、必ずこの三線を意識しないと小笠原流煎茶道のお点前はできない。俗線、洗心線、清線とつぶやくたびに、「俗なる心を洗い流し、清い心持ちでお茶を淹れる」というお点前の心持ちを意識するように先人が考えたと僕は考えている。

■煎茶道の理念と三線
お点前をすることで常に意識するというのはとても重要な点といえる。ところで、煎茶道の精神、理念を表す「和敬清閑」という言葉がある。和敬清閑とは和を悟り、相手を敬う事。俗事に煩わされず誠意をもった肉体的精神的に清い心でゆとりを持つという意味である。この和敬清閑の意味を理解した上で改めて三線の3つの名前、「俗線」「洗心線」「清線」を表す意味である「俗なる心を洗い流し、清い心持ちでお茶を淹れる」を思い出せば、三線は和敬清閑の考えに繋がっている事が分かる。つまり、小笠原流煎茶道のお点前は、お道具の基本の配置の型となる三線を常に意識してお点前をすることで、とりもなおさず煎茶道の理念である「和敬清閑」を常に意識するようにデザインされている。道具の配列と基本の三線の名前と意味合い。それがお点前を通じて精神性を高める意識を自然と身につける小笠原流煎茶道のデザインの深さに感銘を感じる。生み出した先人のすばらしい知恵と雅趣を感じつつお点前をすると喜びもひとしおである。
(注記)この内容は、小笠原流煎茶道を学ぶことで沼野自身が気づき、解釈した内容で、小笠原流煎茶道の正式な見解ではありません。内容について私自身の勝手な解釈が入っていることはご承知おきいただくとともに、内容に至らない点があればお叱り、御指導いただければと思います。 

※引用・参考図書:
本田済著『朝日選書中国古典選易』朝日新聞出版(1997)
有馬頼底監修『茶席の禅語大辞典』淡交社(2002)


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