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人生で大切なことは、知的障害者福祉が教えてくれた!
はじめまして、沼野 貝三(ぬまの かいさん)と申します。
20年ほど前に何気なく知的障害者施設に転職して、現在とある入所施設で施設長をしております。
この20年近くを振り返れば、良いことも楽しいことも、思い出したくないことも腹立ったことも、ホントいろんな出来事がありました。でも、この仕事選んで良かった!今はこころからそう感じています。知的障害に限らず福祉業界全体で、様々な問題や課題があります。
つかう言葉・態度で人生変わる!
この仕事をはじめた頃は、現在の障害者総合支援法なんてありませんでした。根拠となる法律もほとんど無く、ある程度自由度が高かったように記憶しています。今は法律にある通り、我々の業務の中心は障害者を支援することで、現場の方たちは支援員と言っています。当時は、入所施設は更生施設と言われ、障害者サービスは教育・訓練の要素が強く、指導員と呼ばれていました。親御さんからは、たまに○○先生と呼ばれたりして、学校の
もっとみる出来事には、すべて意味がある!
先月から○○○で働いて9年目になります。8月でこの業界19年目になりました。この業界で働き始めた頃は、まだ30代で額も狭く、白髪もそんなにありませんでした(笑)まわりの人に言わせると、わたしがまさかの福祉?そう思われていたようです。そんな中何の知識も技術もないところから、よく19年続いたもんだと思います。
これまでを振り返ると色んなことがありましたね。これまでここで紹介させてもらったように、他害
固定観念は悪。先入観は罪!
これでも以前は、よく勉強しました!自閉症とは何ぞや?ダウン症の基本的支援の仕方は?TEACCHとかなんたら療法とか・・・結構高名な先生の話聞きに行ったり、先進的な取り組みをしている有名な施設に行ったりしました。お金も時間も使ったものです。研修の場でよく話していますが、どんな高名な先生の話しを聞いたり、先駆的な取り組みを見たりしただけでは、学んだとは言えません。よくて知った・分かったのレベルです。実
もっとみる出来ない・知らないは、恥じゃない!
記憶と計算が正しければ、この8月で障害者福祉の仕事を始めて19年目になります。まぁよく続いたものだと、自分を褒めたいと思います。ちなみに△△△は今月末でで丸8年を終えます。来月から9年生(中3)です(笑)
最初は、街の小さな作業所で5.6人の利用者さんと4.5人の職員とでお弁当を作って、配達して洗い物してました。知的だけでなく、身体・精神と3障害揃ってましたが、ある程度会話の成り立つ人もいて、そ
残せるのは、思い出だけ!
障害者福祉で働き始めて19年目。○○○は、3つ目の施設です。これまで出会った利用者は4・500人くらいでしょうか。出会いがあれば別れもあります。ほとんどの別れは施設を移った(転職)ことが大きな理由になります。その次をあげると、一生のお別れです。○○○では、4名の方をお見送りしましたが、それ以前も含めると10数名です。
さて、現在△△さんが入院されています。今日現在、次の転院先が決まり手続きを進め
困難は、未来からのプレゼント!
サラリーマン時代は、楽してお金が欲しい。面倒な事は人任せ。思い通りにすべて進んで欲しい。難しいことは、目を背ける。そんなことばっかり考えたりやったりしてました。そう思っていても、楽してお金も稼げないし、面倒な事もなくなりませんし、思い通りにいかないことばかりでした。福祉の仕事を始めてからも同じように考え、お給料もこの業界ですから、そんなには稼げませんし、仕事も楽にはなりません。結果思い通りにいかな
もっとみるしあわせは、なるものじゃなくて、気付くもの!
正直に言うと、この仕事を始めたばかりの頃は、障害のある人は僕たちより出来ることが少ないし、僕たちがそれを助けてあげているんだという、滅茶苦茶上から目線でいました。そればかりか、最初に勤めた作業所は、知的だだけでなく、精神障害の人もいて、その人たちは怠けてるだけだとも思っていました。
そんなある日、新しい利用者が入り、その方を迎えに出かけました。住宅街にある和風の立派なお宅です。そこから出てき
自信をつけるには 、自分との約束を守る!
今は、個別支援計画はサビ管が作成しなくちゃいけませんが、10年前くらいはサビ管なんて制度もなく現場の職員が作成していました。当時の計画の3大目標は、①安定した生活②問題行動の改善③健康の維持でした。細かな計画にこそ差はあれど、ほぼ全員が同じ目標です。でもって、半期ごとに総括するわけですが、問題や出来ないことに着目した目標だったので、出来ていない!やってない!ってことになります。1年経って来年の計
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