COTENラジオとメタ視点

COTENラジオというpodcastを聴いている。
おかげであまり細かいことを気にしなくなった。
「おかげで」とはどういうことなのか、聴いたことがない人にはさっぱりだと思うので紹介したい。

COTENラジオは歴史について楽しく学べる番組だ。
歴史上の一人物を取り上げて数回に渡ってその人生を紹介したりする。
歴史にまったく興味がなく、歴史が苦手科目だった私にも、すごく面白くて、学生時代に聴きたかったと思う。
歴史の年号なんて数個しか覚えていないけれど、COTENラジオのエピソードを聴きながら、「この人がこの国でこれをやっていた時、別の国ではあれが起こっていたんだな」と点と点が繋がる瞬間が気持ちいい。もっと覚えておけばよかった。

この番組の何がすばらしいかというと、「諸行無常」を体験できるところにある。
例えば孔明が劉備玄徳とともに蜀を建国した流れを数話に渡って聞く。一代で建国するという偉業、しかも玄徳に至っては高齢になってからの発起だ。そこには数々のアツいエピソードがあり、そのミラクルなスペクタクルに心を奪われる。
すっかり二人のファンになったところで、その後どうなったかを聞かされる。

孔明の死後30年ほどで蜀は滅びましたとさ。ちゃんちゃん。

耳で聞いてるだけなのだけれど、これは「体験」と言って過言ではないと思う。登場人物に感動し、感情移入した後で、あっけなく終わる。そのジェットコースターにリスナーは乗せられてしまったのだ。

他にも、アレキサンダー大王のエピソードなども同じジェットコースター体験ができる。ぜひ聴いてみてほしい。

そこで今生きている自分の人生をメタ視点で見てみると、ほんの100年くらいのスパンでしか評価されない「偉業」を達成しようがしまいが、死んでしまえば無に帰す。「偉業」とまで言われない、社会レベルでの「成功」なんて、風の前の塵にもならない、視認できないレベルの埃だ。
この人生で、成功しようが失敗しようが、メタ視点で見ると同じだ。
もっというと、0歳で死のうが100歳で死のうが同じだ。

人生に意味なんてものはなく、何かを遺そうとすることに意味はない。
何かを遺したとして、それを受け取った人たちも何十年かで全員いなくなる。
三大宗教レベルのものを遺せるなら話は違ってくるけれど、無理だし、やりたくもないだろう?

人生は楽しむものだ。どうせ消えてなくなるのだから。

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