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音楽を丁寧に聴く時代が終わって

「グラスハート」という、ライトノベルのシリーズが青春時代大好きだった。女子高校生の主人公がドラマーとしてプロのバンドにスカウトされ、活動する話。
久々にその続編「アグリー・スワン」が出たので読んだ。懐かしかった。
過剰なまでの比喩で丁寧に音が描写されていて、それはラノベ特有の表現ではあるけれど、以前は自分もこういう風に音楽を捉えていたなあと懐かしく思った。

自分は歌を本気で練習しているのだけれど、若い世代とカラオケに行ったら、音を外しても、声がイケてなくても、とにかく早口で音域の広い歌を噛まずに歌い切れば勝ち、みたいな空気になっていた。
自分は人よりも素敵に歌えると思っていたけれど、その空気の中ではほとんど価値がなかった。むなしくなった。

若い世代だけがそうなってしまったのかと言えばそうではない。
かくいう自分もいつからか、音楽を丁寧に聴くことができなくなった。
ただ新しい音楽が激流のように押し寄せて、目の粗いフィルターで濾して、何も引っかからないか、特に変なものだけが引っかかるか。(この場合引っかかったら価値が高いというわけではないのがミソ)

もし現実のこの時代にテン・ブランク(件の小説のバンド)が実在したとして、ヒビキみたいにちゃんと聴いてくれるリスナーはまれだろうと思う。
「みんなが藤谷を天才と呼ぶから天才なんだろう」「天才の作る曲だからいいんだろう」とテン・ブランクを聴く人が大半で、曲の細かいところに感銘を受けて聴く人は全体の1割を切るんじゃないか(個人の体感)。

どうやったらまた、丁寧に曲を聴けるようになるのか、まずは自分から探ってみないとな、と思っている。

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