伝わっちまった悲しみに

少し前の話だ。母親が私に言った。
「あなたが子どものときに手を火傷して、夜中に病院に連れて行ったことあったでしょう。あなた、嬉しそうにしてた。独り占めできて嬉しかったのかな。」
泣きそうになるのを我慢した。
実家から帰る道で泣いた。

もう10年以上前になると思うが、私がFacebookに子どもの頃みた夢の話を投稿したことがある。

父親が包帯グルグル巻きのミイラの姿で、インスタントラーメンを煮ている鍋を持って台所から出てくる。
私は居間にいる母の背中に抱きつき、「助けて!」と言ったけれど、母は新聞を読んでいて無反応だった。
隣にいる姉に「助けて!」と言ったけれど、姉は漫画を読んでいて無反応だった。
おばあちゃんの部屋に逃げ込むところで目が覚めた。

私のFacebookは母も見ている。
母にほんの少しだけ、私の抱えた孤独が伝わればいい、と当時は思っていた。
私も若かったのでそれくらいの攻撃性があったのだと思う。

母にはそれがものすごく効いたらしい。
それから何年も、「そういえば、あの子はあの時も寂しかったのでは」ということを思い出しているようだ。
そして冒頭の、火傷の時の話も思い出した。

前にも書いたけれど、姉と兄は病気がちで、しょっちゅう病院に連れて行ってもらっていた。健康優良児だった私はそれが羨ましかった。
(それで大人になった私は病院大好きになり、ちょっとの不調でも病院に行くので、結果的にずっと健康である。)
4歳くらいの時だったと思う。家の居間で転んで、石油ストーブの上に手をついてしまった。手のひらが完全に焼けただれた。
両親は焦って車で病院に連れて行った。

火傷をしたこと、その後手をビニール袋で保護して保育園に行っていたことは覚えている。
病院で嬉しそうにしていたということまでは覚えていない。母だけが覚えていた。

それを母から伝えられて、涙が出たけれど、その感情の内訳は自分でも分からない。
伝わってよかったという気持ちより、罪悪感の方が強い。
分かってほしかったけれど母を悲しませたかったわけではなかった。
そして、今、母が分かってくれたところで、子ども時代の孤独は埋まらないという現実を思い知る。

親に伝えてもあまりいいことはないよ。
ありがとう、私は元気です。

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