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恥をかく勇気_100日後にZINEをつくる、61日目
昨日、恥について考えていた。
その人が恥ずかしいと感じる行為は、その人の生きている世界のタブーを侵す行為だ、と。
誰も恥ずかしい思いなどしたくはない。
「恥をかくことをさほど恐れず行動する人」と「恥をかく可能性のある行動を避けようとする人」は、それぞれ一体なにを得ているんだろう。
「若いうちにたくさん失敗して恥をかいておいた方がいい」「歳を重ねると恥をかくことが怖くなるから」「恥じらいを忘れた女がオバサンになり、恥をかくのを恐れる男がオジサンになる」なんて言葉も見つけた。(恥じらい、というキーワードについてはわたしの中の別のアンテナが刺激されるので、こちらはべつの機会に。)
いろんな言説があるけれど、結局「恥をかくことを恐れるな」ということなのだろうか。それとも、生きてるだけでぐんぐん伸びていく鼻を定期的にへし折るために「恥は進んでかきなさい」ということだろうか。
わたし自身、苦手なことが山ほどあり、且つ自意識おばけなので、恥をかくことには事欠かずに生きてきた。恥じらう前に恥をかいてしまうわたしは、生まれながらにオバサンだったのか。
ちいさな恥には日々事欠かないが、2年ほど前にある企業に入る気満々でエントリーシートを送り見事に玉砕した時には、伸びた鼻が折れるどころか恥ずかしさのあまりえぐれた。今思えば、どうして自分が採用されると信じていたのかがわからない。
しかし、こうやってきちんと肥大した自意識を定期的に針で刺して割ってくれるから、わたしは自分の生きてる世界を信頼している。
もしかして、重要なことは「恥」を自覚することなのか。
恥をかくことで得られるものはなんだろう。
ブレネー・ブラウンの言葉を引いて、恥について書いている記事を見つけた。
ブラウン教授はTEDトークの中で、こう指摘した。「人との関係をこじらせることへの恐れが『恥』」であり、「男性にとって、『恥』とはすなわち、弱く見られたくない。これに尽きる」と。一方で、人と心を通わせることのできる人に共通するのは、「自らのもろさや弱さ(vulnerability)をさらけ出すことをよしとしている」点であると述べている。つまり、弱く、不完全な自分を認め、受け入れ、さらけ出す勇気、恥をかく勇気こそが、人とのつながりの第一歩であるということだ。
「男性にとって、『恥』とはすなわち、弱く見られたくない。これに尽きる」
これって、主語は「男性」に限るのだろうか。女性は弱く見られることに抵抗を覚えにくいということなのかな。
彼女の言う通り「恥をかく勇気こそが、人とのつながりの第一歩」であるのなら、そうか、「弱さ」で人と人はつながっているのか。
強くて、完全である人は誰かとつながる必要もないだろう。
「恥をかく可能性のある行動を避けようとする人」は、自分が自分の弱さとつながるチャンスを逃してしまっているのかも。結果的に自分がぼんやりしてしまい、鎧だけがぶ厚くなる。
恥をかくことに臆病な夫をもったわたしは、彼が自覚できない「弱さ」と手をつなぎ、「ほらほら世界はきみが思うより安全だぞ」と示すことができる。
不完全なままで誰かと手をつないでいられること、それがわたしの世界をより平穏にする。
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