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100日目にできたもの_100日後にZINEをつくる、100日目

待ちわびた100日目ですから、手を清めてPCの前に座り、静かな気持ちでキーボードに指をのせる。苦しい苦しいと思っていた日々も、終わると思えばやはり名残惜しい。なんて思える人間ではない。
毎日0時までに何か言葉を絞り出さなくてはいけないという、ムダなプレッシャーから解放される喜びに包まれ、ヒャッハー!と浮かれている。

ZINEはできなかった。
思えばいつの間にか、「ZINEで表現をしたい」が「100日雑巾しぼりで何が表現できるか」に変化し、最後の2週間くらいは「自分の底に転げてる石をつまんで眺める」みたいなチャレンジになっていた。

この100日ストックをZINEにするか、この経験を下書きにして新しいものを書いてみたくなるかは、まだわからない。(ホラー映画に関しては、自分で絵を描き足したい)

今年10月の文フリ福岡に出店する!を目標にZINE製作はこのあとコツコツ作業していく。

noteを書き続ける毎日で、痛感したこと。
わたしは書くのがとても遅い。
最低でも3時間、長いと半日以上このページを開いていた。書いては消し、1行をこねくり回し、単語を入れ替えして、これしかない!と思った言葉たちも、翌日読むとたいてい色褪せている。

しぼりたてのフレッシュなものと、時間を置いたものは全く味わいが異なることに気づいた。

作家が散歩を好む理由もよく分かった。
わたしは物書きではないけれど、長時間椅子に座り息を詰めて書いたものはだいたい、濃いのに味がしない油みたいなものになる。ドレッシングに書いてある「よく振ってからお使いください」をたびたび思い出した。

具体的な「言葉」で、抽象的な「感情」を表現することはとても難しくて、それに紐づく経験を並べて話しがちな自分にも気づいた。
「なにか」を言いたいときにわたしは、「なにかを感じたエピソード」を共有しようとする癖があるらしい。

わたしは結局、毎日何をしていたのか。

この冗長な自分がひとことで通じる言葉、一目でわかる表現を見つけたい。
そのためにあちこち掘り返した土が、100日間のnoteたちだ。

石を投げる音を言葉で伝えることはできないけれど、サルだってその音をつくりだすことはできる。
言葉をこねくり回してもちっとも分からないことが、身体をつかえば一瞬で理解するってことは案外たくさんある。いや、この世のほとんど全てのことが身体でなければわからない。(いつかAIが「石を投げる音」をわかる日がきたら、わたしたちみんな不死になってるだろうな。げろげろ。)

やれば必ず「なにか」がわかる。
「やらない」選択をした人にしかわからないことがある。

こんな当り前のことを体験するための日々であった。

別にやらなくても誰も困らないことを100日間、自分のために続けたわたし。
堂々と胸を張ってピースサインする!


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