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わたしは負けないです_100日後にZINEをつくる、73日目

占いに書かれていた。

「あなたは負けないです。」

自分で「負けない」と思うことと、外からの言葉としてそれを受け取るのはこんなにも違うのかと驚く。

わたしはずっと、自分の人生において誰かに「負ける」という感覚を抱いたことがない。心の底からいいなあ、と思ったり、涙が出るほど羨ましい!って感じることはある。運動も音楽も人一倍ダメなお陰で「勝てない」経験は山ほどしてるのに。

どうやらわたしの世界において「できない」と「勝てない」はイコールとして存在していないし、「勝てない」=「負けた」でもない。つくづく自分の強情さに感心する。とはいえ、わたしの折れない心が誰かの心を削るのは嫌だ。

わたしのように生きてるだけで毒、みたいな人間が他の存在を意識的に傷つけるなんてあってはいけない。なので、最後にはいつもハンズアップして、その腕で相手をハグしてきた。わたしが慈悲深い人間だからではない。相手をホールドする側に立つことで、わたし自身が安心を得たいという気持ちが根源にあるからだ。来世では、慈愛から誰でも抱きしめられる聖女になりたいと思います。

わたしは奇人変人カオスを愛してる。自分の生きづらさに他人を巻き込む困ったさんを見つけると、どうしてこんなにこんがらがってしまったんだろうと思い、ついつい近寄っていってしまう。たいてい巻き込まれて傷ついて、うんざりして、「近寄るんじゃねえ!」って腕を振り回すハメになる。それでも懲りずに側に寄りたくなるのは、そのような性癖なので仕方がない。

わたしは見た目が奇妙な昆虫が大好きだけど、咬まれたり毒で痛い思いをするのはゴメンだ。だからできれば壁を隔てたケース越しにずっと眺めていたりしたい。でも世の中には昆虫を見るのも嫌がる人も、なんでも掌にのせて愛でたい人も、食べたい人だっている。どのような距離感を理想とするかは人それぞれだ。

しかしいくら亜種を愛していても、彼らに我が身を削られては自分のことを愛せなくなってしまう。

歳を取って1番よかったことは、自分を受け入れざるを得なくなったこと。現実の自分と理想の自分の境界線が見えたことで、残念な自分も大嫌いな自分もひっくるめて大事にするしかないと覚悟ができた。

だからやっぱりわたしは負けてはいられない。
わたしの世界で領域展開して自分ルールを押しつけてくる相手には、落下の情で叩き落としたり、領域展延で対抗するなりせねば。相手を傷つけるかどうかを気にする以前に、自分のために「負けない」って思わなければ。それを愛するわたしが消えたら、彼らだって愛してくれる人間を1人失うんだから。

なんだか今日はやけに、負けない、負けない、と繰り返しているけれど、それで良い。
「わたしは負けない」って言葉は底なしの呪力エネルギーを生むアンビリーバボーな呪文だから。

「あなたは負けないです。」

わたしにこんなにすてきな言葉をくれたから、今年は感謝の気持ちと共にしいたけを食べます。合掌。

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