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記憶の映画ろん

これは論と呼べるほど大層なものではない。故に「ろん」。それぐらいの気持ちで読んでほしい。この文章は「ヌーヴェルヴァーグとは何だったのか」という問いに対する回答から始まる。その回答は無数に存在し、著者のような批評家に憧れを持っているだけの凡人が改めて書くことでもないのは重々承知しているし、もしかすると既に以下に述べることと同様のことについてはるかに出来のいい文章が存在するかもしれない。ただ、この文章は自身の思考を残しておきたいという極私的な欲求によって書かれていることを承知の上でお付き合いいただけると幸いである。

まず、先述の問いに対する回答を述べる。それは<記憶>との戦いの幕開けであったといえる。この<記憶>の種類は多岐にわたり、イメージしやすいところで言うと映画そのもの言い換えると映画史、人や土地、絵画などだろう。ゴダールが『勝手にしやがれ』模倣したホークスやシャブロルが多くの映画で模倣したヒッチコックは模範とすべき<記憶>として、ロッセリーニは映画に<記憶>を、正確には土地の<記憶>を持ち込んだ先駆者としてヌーヴェルヴァーグにおいて信仰された。

この<記憶>との戦いは今も続いている。度々言及されるヌーヴェルヴァーグ以後の作家であるという自覚というのは<記憶>と戦っているかどうかにあり、どの記憶をいかなる配分で取り入れるかが作家の個性として画面に現れることとなる。
この<記憶>をカメラに捉える際にはいわゆるドキュメンタリーとしての要素が必要となる。ドキュメンタリー性とは監督が作り出すことができない被写体そのものが持つ記憶的要素、フィクション性とは監督が作り上げる物語的要素であり、フィクション性とドキュメンタリー性の配分は先程言及した記憶の配分よりももう一段階浅い層で作家にとって問題となるのだ。(図1参照)

図1

この配分は明確に数値化できるというわけではないが、どの要素を最も強く持つかは作品によって異なる。ハリウッド映画は伝統的に物語的要素が濃く、その物語世界を徹底的に構築していくため、ドキュメンタリー性は皆無と言っていい。そして現在、その制作方法の正統後継者がクリストファー・ノーランなのである。

ヌーヴェルヴァーグ以後、<記憶>を扱いドキュメンタリー性を伴った映画作家のうち、ここでは、ヴィム・ヴェンダース、ペドロ・コスタ、アンドレイ・タルコフスキー、侯孝賢の4人の映画監督を例に取り上げる。

ちなみに具体的な話に入る前に断っておくと、この<記憶>というフレームを筆者は非常に便利なものだと思っている。曖昧なものを扱うズルさを感じる。実際ズルい。アレもそうじゃね?いやコレは違うのでは?という意見があるのも当然だろう。だが、今の映画の流れを見ていく上でひとつのフレームとしては申し分ないものであるとも思っている。

では本題に戻ろう。
ヴィム・ヴェンダースの作品は構造映画としての要素を持ち、作品内に物質化した<記憶>又は<記憶>の物質化それ自体が行われる。『パリ、テキサス』のホームムービー、『都市とモードのビデオノート』の小型モニター、最新作『PERFECT DAYS』の写真など。さらに彼の作品はロードムービーとしても展開される。ロードムービーでは、登場人物たちのある地点からまた別の地点への移動が繰り返される。移動の過程と場所がある人物の<記憶>を呼び起こし、その断片を他者と共有することにより、共感と対立の連鎖が生まれ、密度を増してゆく。

『都市とモードのビデオノート』

ペドロ・コスタの作品では土地に残された人の<記憶>の捜索が主題になっており、登場人物たちは常に誰かを、誰かの<記憶>を土地という迷宮の中で捜索している。簡単に言ってしまえばかくれんぼである。それゆえ、被写体としての人間よりも誰かがいた痕跡の漂う空間が我々に囁く。『溶岩の家』では、他者の持つ自身の知らない自身の<記憶>を捜索し、『ヴィタリナ』では、亡くなった夫の<記憶>の捜索が主題となり、さらに迷宮からの脱出までが描かれた。

『ヴィタリナ』

タルコフスキーの作品で象徴的なものは水である。水は時間的にも物質的にも流動的なものとして、過去と現在の区別が消失した<記憶>の概念と同一のものとして在る。<記憶>に囚われた者たちが形を得た記憶と対峙する。1つのショットがまた別のショットと接続され新たな形を生み出すように、彼らもまた対峙によって変容していくのである。『惑星ソラリス』では形を伴った記憶と対峙したことによる変容、『鏡』は時間の区別が喪失された世界で現実そのものさえも変容していく様を描いた。

『鏡』

侯孝賢の作品は人が持つ土地の<記憶>を追体験させる。ペドロ・コスタとは異なり、土地は土地単体で何かを語りうるものではなくそこに人がいて初めて口を開く。人の存在によって土地の<記憶>が立ち上る。人が何かを語る/行うとき同時に土地がその声に共鳴するのだ。『童年往時 時の流れ』では少年時代の記憶にある土地を捉え、『戯夢人生』では人形使いリー・ティエンルーの語りと共に土地を捉える。

『童年往時 時の流れ』

彼らを取り上げた以上、触れておかねばならない先行する作家が2人いる。
正確には1組と1人だが。
1組はストローブ=ユイレ。ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの共同製作でストローブ=ユイレと表記され、ペドロ・コスタに影響を与えた。(実際ペドロ・コスタは彼らのドキュメンタリー『あなたの微笑みはどこに隠れたの』を撮影している)。ヌーヴェルヴァーグと同時期から製作を始めた彼らは土地とテキストの<記憶>を純粋な形で可視化する。それゆえ絶対的な確信を持って厳格に定められた画面は<記憶>に満ちており、テキストによって翻訳され無人の空間は雄弁に語りかける。

『早すぎる、遅すぎる』

もう1人は小津安二郎。というより『東京物語』という方が適当かもしれない。小津の作品は必ずしも<記憶>の物語ではないからである。ただ『東京物語』に関して言えば<記憶>の物語であると断言できる。土地の<記憶>を持つ者と喪失した者、生死不明の次男の写真、時計による物質化された<記憶>の譲渡、<記憶>という点に限ってもその後の映画に与えた影響は計り知れない。

『東京物語』

もちろんその他にもヌーヴェルヴァーグ以後、<記憶>を扱った作家たちはいるが、ここではひとまず2000年代へと話をうつさせてもらおう。
ここで取り上げなければならないのが、アピチャッポン・ウィーラセータクンである。彼の映画を観て眠気を催した経験がある読者は少なくはないだろう。眠りへと誘う映画。しかしそれはその世界と対峙した時に当然の反応だといえる。夢を<記憶>の断片の連なりとして捉え、それこそが映画であると表明する世界。そして眠ることによって土地の<記憶>と邂逅することが許されるのだ。『真昼の不思議な物体』では、映画=<記憶>の連なり=夢であるが故の変容可能性を容易く証明してみせ、『ブンミおじさんの森』では、土地そのものを具現化し、人が土地の持つ<記憶>の中に取り込まれていく過程を描いた。

『ブンミおじさんの森』

さて、現在の日本において<記憶>に対して最も自覚的と言っていい映画作家として濱口竜介がいる。
濱口竜介は存在している既存の<記憶>ではなく、新たな<記憶>を作り出す。創造された<記憶>を身体へと落とし込んだ演者から発せられる言葉は通常の台詞とは異なった厚みを持ち、東北ドキュメンタリー三部作では<記憶>の層の実態を捉えている。身体と声における人の<記憶>の創造。その<記憶>の中にある過去を代理の人間によって乗り越える。(この<記憶>の創造過程を映画にしてしまったのが、草野なつか『王国(あるいはその家について)』であったわけだが。)『親密さ』では演劇として観客の前にさらされる演者たちが演者となるまでの過程を描き、『天国はまだ遠い』では記憶が他者の中に移行し視覚化し過去の克服を描いた。『ドライブマイカー』は人の記憶を主題とした集大成であり土地の記憶への主題の移行が示され、『悪は存在しない』では人の記憶と併せて土地の記憶を映画の記憶によって断絶させ、一つの流れへと収束させてしまった。

『悪は存在しない』

これが筆者の考える現代映画作家の流れである。ここで取り上げたのはほんのごく一部であり、筆者が見ている範囲にすぎない。ただ記憶との戦いはこれからも続いていくと断言できる。
映画は死んだ。死んだのであればその死体と戦うしかない。どうにかして動かぬものを動かそうと、運動を創出せんとする試みが作家たちによって行われているのである。


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