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TSP 3rd 映画講座

DJユニットTop Secret Philia'sスピンオフ企画映画講座の第3弾
今回の映画は
デヴィッド・フィンチャー監督
『ファイトクラブ』

これまで同様DJ智智(C)によるDJ智智(T)への映画講座です。
Cは何度も観ており、Tは初見。
以下、視聴後のC(🦓)とT(🐘)によるやり取り。
※ネタバレあり 注意※

🐘:いや~、「妄想全開映画」ってかんじですね。
🦓:全開?
🐘:そうそう、ほぼ全部妄想。
🦓:全部とは?
🐘:極端なところではマーラの存在が妄想ですね。
🦓:ほ~、そうきますか。
🐘:この主人公は、無理して"イイ物"に囲まれるような生活をしており、
そういう自分の現状に満足はしていない、それが不眠症となって現れている。逆に言っちゃえば、この主人公は、自分が一般的な満足している状態にいることに不安を覚えるのではないかとも考えられますね。
🦓:不安を感じている点は同意します、とりあえず解釈を続けてみてください。
🐘:はたから見れば何の不自由もない生活を送っているそのことが、本人は一番不安であり、不眠症やあらぬ妄想を産み出す。
🦓:マーラはどういうところから産み出されたんでしょう?
🐘:セミナーに通い始めた主人公がぐっすり眠れるようになったじゃない?
この部分は現実なんですが、眠れるという安心を得てしまった主人公は、その安心感から不安が生まれ、安心感を刺激してくれる存在かつ自由で奔放な異性としてのマーラを産むんです。
🦓:妙に納得させられそうですな笑
🐘:妄想だと思った根拠もあって、車が走る道路を何事もなく横断する描写ですね。これを見た時に、この人存在してないんじゃないかと思いました。
🦓:あそこはたしかにちょっと不自然な気はしますね~
🐘:不安から産み出されたマーラですが、同時に現実では満たされていないであろう欲望を満たしてくれる存在として妄想されたことも予見されますね。
🦓:もうちょっと続けてもらってから私の解釈をぶち込みましょうかね(ニヤニヤ)
🐘:ではお言葉に甘えて。
仕事で忙しく飛び回る主人公(これは現実)、ある意味充実した日々でまたしても不安感に襲われ妄想が産まれる。ここで産み出された存在は、こんな現実を根底から変えてくれるであろう男。
自分の生き方とはある意味正反対だが、主人公自身は、本当はこういう風に生きたいと思っていた理想を具現化した存在。
この男を産み出したことにより妄想は加速する。
🦓:そういう解釈で行くと家の爆破はどう捉えます?
🐘:あー、そこが実はまだ判断に迷っているところなんですよね~
でも、あれを妄想だと解釈すると、その後はすべて妄想になってしまうし、
そうであれば、じゃあ、最初から最後まで妄想でいいじゃん、ってことになるので、あそこは現実と解釈します。
というか、あれこそが、主人公がやった、妄想を具体化した唯一の悪事だと思います。この爆破計画自体は、主人公の妄想初期の産物なのではないでしょうかね。最初はただの妄想だったものが、ある時妄想と現実のはざまでふと出張中には必ずこの爆破計画を実行する、というようになっていったのではないかと考えます。(この爆破自体は何らかの偶然の重なりで発生する仕組みではなないでしょうか、そうでないと簡単に人為的と疑われるから。)
で、ただの妄想だったことが現実に起こった!(自分が仕組んだだけなのに。)興奮した主人公の妄想はさらに加速することになった。
タイラー(ブラッド・ピット)が現れるタイミングが同日なのがポイントですね。かなりこじつけると、ここの時系列はズレていると思います。
爆破が起こり、朽ちかけた仮家で生活するようになって、そこで読んだ本から刺激を受けることで妄想された最終形態の人物がタイラー(ブラッド・ピット)である、これが本来の時系列。妄想なので、振り返って現実が妄想に上書きされたんですね笑
🦓:🐘(T)の妄想も炸裂ですね笑
では私の解釈もここでぶっこんでみましょうかね。
🐘:ぜひお願いします。
🦓:根本的な違いはやはりマーラの存在ですね。
わたしは実在していると考えています。
唐突にわたしが考えるこの映画のキャッチコピーを発表しますと、
「明日死ぬ覚悟はできているか」
です。主人公はそれができていない人間だった。セミナーに通うことで、自分より不幸と思われる人たちの告白を聞いて自分はまだマシじゃないかと安心感を得ようとしている。セミナーに通う人たちは明日命を落とすことがあってもおかしくない状況で今を懸命に乗り越えようとしている人たちばかりなのに。
そんな中、自分と同じような行動をとっているマーラと出会う。
簡単に言えば、主人公”ぼく”はマーラに恋をしたのです。この物語はそこから動き始めるのです。
「マーラが好き!けどいまのぼくじゃ見合わない・・・」
そんな主人公の劣等感から産みされた人格がタイラー(ブラッド・ピット)だったのです。物知りで、口も達者、夜も最強で、何ものにも縛られない、自分とは反対で、マーラに見合う存在として。
そんなタイラーは何度も”ぼく”に言います。「痛みを感じろ」「死ぬ前に何がしたい?」でも”ぼく”はいつになってもわからないのです。
それはいまだに”ぼく”が人と自分を比べて幸せの尺度を決めようとしているから。「以前より自由になったけど、隣にタイラーがいるからそれができる。メイヘム計画を主導しているのも、結局はタイラー、マーラもタイラーに奪われたし。」こんな感じで劣等感の塊。
でも、自動車事故の後タイラーが姿を消したことで、最終的に”ぼく”は、タイラーが自分と同一人物(自分の別人格)だということに気づきます。
それと同時に、マーラが危険な状況にさらされる状況で、”マーラを守る”という目的を見出し、”ぼく”は変わります。そしてクライマックスへ。
と、そのまえに、後半部に関するTの考察を聞きたいところですね。
🐘:なるほど~恋ね。私は恋心をベースにこの映画を観ていなかったので、
新鮮に感じる視点ですね。
じゃあ、後半部いきます。
そのまえに、私が思うこの映画の主題を整理したいと思います。
この映画の主題は、シンプルに破壊衝動だと思います。
その破壊衝動は3つに分けられます。
1つめは暴力衝動。これはファイトクラブが請け負っている。
2つめは性衝動。これはマーラとの”スポーツセックス”が請け負っている。
3つめは破滅衝動。これは最後のメイヘム計画が請け負っている。
そして私の解釈では、これらはすべて現実では起こっていない主人公の妄想である。1つ起こっているとすれば、自分で自分を殴って顔にあざを作っていることくらい。
で、後半部の解釈をここから考えると、妄想が3つめの破滅衝動まで進んだことによって、とうのタイラー(エドワード・ノートン)自身が、妄想の中でその妄想を止めに入る。そして妄想が暴走しだしたそのことによって妄想だと気づく(妄想のなかで)。
その結果、妄想を加速・暴走させた張本人だとタイラー(エドワード・ノートン)が気づいてしまった、自分自身の別人格タイラー(ブラッド・ピット)だけが妄想の中で消されることとなる。
これにより3つの衝動はすべて充足され、さらにはマーラのような存在も手に入れる(妄想の中で)。
とまあ、このように手の込んだ妄想具体化映画なんではないかと思っています。
🦓:うーん、ここでもやっぱり根本的な違いがありますな。
Tの解釈では後半はすべて妄想の中の出来事ということになりますね。
🐘:もちろん、だって、これが現実!?っていうようなことばっかりじゃない。自分自身を撃ち抜いてタイラー(ブラッド・ピット)を殺したり、最後のビルの爆破だって・・
🦓:タイラー(ブラッド・ピット)殺しは、”ぼく”による2つの人格の統合を象徴する行為ととらえるしかないですね笑
ビルの爆破もちょっとやりすぎですが、ここでわたしのキャッチコピー「明日死ぬ覚悟はできているか」が生きるんです。
”マーラを守る”という目的によって、やっと”ぼく”は、死ぬ覚悟ができたんです。この2つの出来事は、死を目前に、愛するマーラの隣にいることができた”ぼく”の目的達成を示しているんです。
🐘:ちょっとご都合主義的ですね笑
私は、この主人公には、いくら恋の力とはいえ、大きくなり過ぎた破壊衝動という妄想を現実化する勇気も力もないと思いますね。だから、私の考えでは、妄想を止めるのすらも妄想の中なんです。
この手の込みようは、単に妄想を現実化してしまうありがちな映画や実際の事件のような陳腐で青臭いものにはしたくないというフィンチャーの美学なのでは、と思ったりもしますね。
🦓:あー、たしかにフィンチャーは構成を複雑に見せようとするのが好きな気がします。『セブン』も七つの大罪を引用して手の込んだ犯罪と見せかけて、ただのサイコパスの猟奇殺人だし。
🐘:でもそれは一種の逃げではないかなとも思いますね。
🦓:逃げ?
🐘:うん。こういった破壊衝動願望っていうのは、ある意味誰もが幼少期から持ちがちなもので、だから青臭いと思ってしまうんだけど、その青臭さから逃げて複雑な構成にしていると感じるんですよね。
例えば、要所要所で出てくるタイラー(ブラッド・ピット)のちょっと青臭い台詞(「お前はものに支配されている」「何がガーデニングだ、タイタニックと一緒に沈めばいいんだ」などなど)を主人公タイラー(エドワード・ノートン)本人が現実の中で心から叫べるような、いわゆる幼児性をしっかり真っ向から受け止めた映画だったらなおいいのになーというのが率直に思うところですね。読んでないからわからないけど原作の小説はそういうものだったりして。
🦓:この映画の単純明快なメッセージ部分ですよね、「何がガーデニングだ!」、わたしも叫びたい笑
🐘:複雑な構成にしているから、もう1度観たくなってしまうというところはありますけどね。
🦓:たしかに笑

おわり

今回の映画

ファイト・クラブ
Fight Club

監督 デヴィッド・フィンチャー
脚本 ジム・ウールス
原作 チャック・パラニューク
製作 アート・リンソン
セアン・チャフィン
ロス・グレイソン・ベル
製作総指揮 アーノン・ミルチャン
ナレーター エドワード・ノートン
出演者 エドワード・ノートン
ブラッド・ピット
ヘレナ・ボナム=カーター
ミート・ローフ
ジャレッド・レト
音楽 ザ・ダスト・ブラザーズ
主題歌 ピクシーズ
「Where is My Mind?」
撮影 ジェフ・クローネンウェス
編集 ジェームズ・ヘイグッド
製作会社 リージェンシー・エンタープライズ
配給 20世紀フォックス
公開 アメリカ合衆国 1999年10月6日
日本 1999年12月11日
上映時間 139分
製作国 アメリカ合衆国

#映画 #デヴィッド・フィンチャー #ファイト・クラブ #Fight Club

presented by numa's


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