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愛の不時着で親友がたくさんできた話-魅力的な登場人物-

前回、初めてnoteで「愛の不時着」について記事を書いた。
思いのほか多くの方に記事を見ていただき、このドラマの人気を肌で感じた。

愛の不時着沼の恐ろしさ|しおり|note(ノート)
https://note.com/numa_bulsichang/n/nf69866226b48

「愛の不時着」とTwitterで”エゴサ”していたら、偶然私の記事の感想と出会ったりもしてなんだか不思議な気持ちになった。
すっかり自己満足に酔いしれていたが、毎日不時着愛について語り合っている沼友に「中身について触れていない」というごもっともな指摘を受けた。
この沼友は、私の猛アタックにより、Netflix加入から不時着最終回までを1週間でこなしてくれた大切な友人である。そんな彼女の期待に私も応えたく、今日もnoteを書いてみる。*今回は一部ネタバレを含みます。


先日、久しぶりに実家に帰省した。帰省を決めたときから、両親に「愛の不時着」を見せることを心に決めていた。
二人は正直乗り気じゃなかった。冬ソナ世代の母は「韓国ドラマは嫌というほど見た。もう飽きた」と言っていたし、父は無反応だった。
私は普段から父とも母とも、TVドラマの話をよくする。二人がドラマに高評価を付ける時は必ず「脇役を丁寧に描いているドラマはやっぱり面白い」と言う。毎回言う。そしてそれは正しいし、だからこそ両親は絶対にこのドラマにハマると思った。

そう、このドラマの「登場人物がみんな魅力的であること」は愛される要素の一つだと思う。そしてこれは、どんな考察記事やSNSを見ても必ずと言っていいほど挙げられている。
私自身もこの意見に完全に同意する。
「愛の不時着」が大好きな私は、出てくる登場人物全員(例外もいる)のことが大好きだ。いや大好き、というよりは、友達という感覚かもしれない。そして最終回では大親友になっていたと思う。だから、2巡目をし始めた時、こちらが「久しぶり!」と手を振っているのに、「はじめまして」な態度を取られて寂しくなったりもした。そのくらいみんなの事が大好きになった。
もし彼らに困ったことがあったらいつでも手を差し伸べたいし、先日の爆破のニュースに心を痛めた人が多くいたのも、きっと友を想う気持ちからだと思う。


私は最初、このキャラクター一人一人への愛は、過ごした時間によるものだと思っていた。このドラマは全て見るのに約23時間かかるらしい。そりゃ、それだけ一緒にいれば好きになるよな…と思っていた。
でも、両親と1話を見ているときに、父がはじめてドラマで笑いながら言った「北の軍人がみんなこんなわけない」という一言ではっとし、そういことか、と気づいたことがある。

この作品は「イメージをこわす事」と「つくる事」の繰り返しでそのキャラクターの魅力を作っているのだと思う。

愛すべき第五中隊の隊員を例に考えみたい。
私たちは、ドラマを見る前に"北の軍人"に対して、ある程度のイメージを持っていたのではないだろうか。私個人的には、怖くて堅くて血の通っていない、チョチョルガンのような人物を想像していた。ところが第一話ですでに、北の軍人であるピョチスは飲酒でへべれけだし、ジュモクは韓国ドラマに夢中で無線に気づかない。ウンドンは母からの手紙に目を潤ませている。なんならリジョンヒョクだってあんなに厳しそうな顔をしているのに、地雷を踏んずけているし、グァンボムは地雷撤去にあたふたしている。完璧ではない、なんとも”人間臭く”、私たちの周りに居そうなキャラクターに描かれている。そしてそれが強烈に魅力的見えくるのだ。
イメージを壊した後は、一度作った「人間臭い」部分をベースに新たなイメージをつくっている。第2話以降はみんな「言いそうな事」を言っているし、「しそうな事」をする。そして、それがしつこいくらい丁寧に繰り返されることでキャラクター一人一人に愛着が湧いてくる。

私たちは、ギャップに弱い。人がイメージと違うことをすることに魅力を感じる。また、このドラマで強く描かれる"人間臭さ"はある意味、人の弱い部分だ。
「悪い人だと思ってたのに良い人だった」ではなく「意外にこんな弱い部分があった」というギャップにこそ私たちは惹かれるんだと思う。

私はソダンの、学生時代、リジョンヒョクと意識しあっていると思っていたのに実は完全に片思いだったという話が好きだ。あんなに綺麗で強気で何不自由ない暮らしをしていて、自分たちとは正反対にいると思っていたソダンにそんな過去があったと聞くだけで、急に親近感が沸いたし、その話をした後に、どうしようもないくらい酔っぱらってしまうのも、共感でしかなかった。クスンジュンだってそうだ。チョチョルガンにセリのキープを依頼しておいて、実際事が起きたあとは、セリの安否を心から心配している。さらに彼はお見合いでセリにフラれている過去まである。可愛げを感じずにはいられない。


ただ、何もそんなに大きな弱みじゃなくていい。ヨンエさんが世帯主が逮捕されたときに寝込んでいる姿や、そのあとご近所の奥様たちが心配して来てくれた時の嬉しそうな姿に弱さのギャップを感じたし、人民班長の酒癖の悪さに人間臭さを感じた。ソダンのお母さんが偵察しに第五中隊のメンバーと飲んだのに、飲みすぎて記憶をなくした話も愛おしかった。そういう小さいギャップとそのストーリーの積み上げによって、キャラクターの魅力を作られているのではないだろうか。
あのチョチョルガンだって、最後の最後に弱みが描かれた。孤児で孤独だった過去と彼の寂しさを知ることで、あんなに怖くて憎かったチョチョルガンにも少し愛情を持ってしまった(だから次男の嫁だけは好きになれなかったのだ…)

また、弱みを見せ続けた後にさらっと魅力部分のギャップを描くと急にそれはドラマチックなシーンに変わる。へっぽこ4人組と思ってた彼らがセリを助ける為にスーツで敵と戦う姿は、逆にいうと北からのスパイを彷彿させる姿なのだが今まで彼らの可愛らしい姿を見てきた分、最高に心がときめいた。

そして最も何度も弱みと魅力のギャップを繰り返し描かれ続けたのはリジョンヒョクだと思う。
あんなに表情を出さない彼が嫉妬する姿や涙を流す姿に女性ファンの母性はくすぐられ、セリがカフェに行きたいと言った数日後にコーヒー豆を用意したり、絶対にルールを破らなさそうな彼が38度線を越えてキスをしたり匍匐前進で会いに来たシーンは魅力が爆発していた。結果リジョンヒョク沼に陥る女性が続出したのも当然のことだろう。(しかも顔天才だしね)

色々書いたが、理由はともあれ愛の不時着を見た結果、隣国に大親友がたくさんできてしまった。
アラサーを数年やっていると、実生活で人間関係が嫌になることもあるし、友達とも色々な歪みが出てくる。特にこの自粛期間中は、SNSやメッセージのやりとりの中で、どす黒い感情に支配されたり、そんな自分を心底嫌になる夜もあった。
だけれど、そんな私でも、このドラマを見ている間は大親友たちの幸せを心から願える、とても綺麗な心の持ち主になれる。そして最後にはこんな人間臭い自分も、そんなに悪くないか、と心が軽くなる。私にとって「愛の不時着」という作品そのものがもはや大親友のような存在なのかもしれない。

まだまだ書きたいことがある。このドラマの魅力は何もキャラクターだけではない。伏線や演出についても、沼にいる人たちと共有したいことがたくさんある。いつかきっとnoteを書きに帰ってきたい。
ちなみに両親も無事に沼にはまっている。これは親孝行なのか?親不孝なのか?

長々駄文にお付き合いいただいてありがとうございます。

なんだか向こうでピョチスに悪口言われてる気がするので様子を見に行ってきますね。
アディオス。

#愛の不時着 #愛の不時着沼 #ヒョンビン


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