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やっぱり生きるのって難しい。

自転しながら公転する 山本文緒 初読感想

まず、この物語はどんでん返しです。

私、どんでん返しって言葉がものすごく苦手なんですよ。特に本の帯なんかに付いていると最悪。
「本の帯に“どんでん返し”って書いちゃったら「ああこの本は最後にひっくり返るんだな」ってわかっちゃうじゃん!!読む前のネタバレ極まりない!!」
って一生思っています。最近ならあの壺が割れる本とか。特に。
なんですが、この本は自信もっていえる。 どんでん返しです。
それも「ああああ!!そっちか!!やられた!一本!!」ってタイプの。
それが不快などんでん返しではなく、めちゃくちゃ気持ちよくて、というか安心して、この作者小説書くの超上手いなと思いました。

さて本題
この本、私の記憶だと朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』と同時期に新装されたのかな?文庫化かな・とにかく書店に並んでいて、題名買い。
ちなみに『死にがいを求めて生きているの』は住野よるさんの『青くて痛くて脆い』が好きな人間は好きだと思います。
タイトルの「自転しながら公転する」これ小学生の天体を習った時にすごく面白いなと思って自分の中にずっと残ってたフレーズだったんですよ。
地球って忙しいなと思って。この歳になってこのフレーズに出会えたことに既に感動しながら読みました。

おそらくこの本が本格的に刺さるにはまだ私は幼いな、と思いながら読みました。当方20です。
とはいえ、主人公は女性。女同士共感できることも多く。
この本の帯は『恋愛、仕事、家族のこと。全部がんばるなんて、ムリ!』
『結婚、仕事、親の介護、全部やらなきゃダメですか?』でした。担当編集かな?上手い。

帯の売り文句にあるように、主人公のアラサー(32歳)都の元に次々と問題が舞い込むんですよ。中卒、無職(回転寿司に勤めてたが店が潰れた)の彼氏。しかも中卒を知らされたのが付き合って結婚を考え始めてから。
都の職場は近所のアパレルのパートだけど、店長はエリア管轄の上司にお熱。のちにバイトへの所業も明らかになるやべえやつ①。エリア管轄の上司はセクハラ野郎のやべえやつ②。
母親は更年期障害。更年期障害を引きずってちょっと鬱気味。親の面倒を見るために東京から田舎へ帰ってきたけど父親からグチグチ嫌味を言われる。

そんな都が幸せになるためにこれでいいのか、あれでいいのか、って悩む話。

まず貫一。(中卒彼氏)
まずヤンキーなんですよ、でもめっちゃいいやつなの。本読むから蘊蓄をいっぱい語る。でもものすごい生きることに対して適当というか、将来を見据えないというか。そして解決しな いけない問題に対してめっちゃ逃げる。貫一……しっかりしろよ………って読中何回思ったか…。でもたまに新たになる貫一の過去とかに対して、めっちゃいいやつじゃん貫一……!!やっぱ人間学歴とか収入じゃないよね!!ってなる。でも結婚を考え始めると都に「ええ、貫一でいいの?本当に???」って思わざるを得ない、みたいな。
そこに家のこととか仕事のこととかが舞い込むからもう、都と一緒に頭の中パンパンになった。

作中で都の「私はただのお荷物だ。私には価値がない。価値がない。死にたい。」っていうセリフがあるんだけど、その直前に都の目に映るものが単語の羅列となって描かれてるんですよ。そのシーンが個人的にはウワーー〜〜!!となった。脳みそパンクして死にそうになる時って本当に目の前にあるもののことしか 考えられなくなるんだよね…しかも視覚情報としての目の前にあるもの……
価値がない、とか、お荷物だ、とか、問題を解決できない  自分がクズだ!と叫ぶシーンとか、ものすごく身に覚えのあることで痛々しかった…

あとそよかのカップル!!!

「正論だよね」
都は呟いた。
「ええ、正論です」
しらっとした顔でそよかはいった。
「私、彼氏にもよく言われます。お前は正論ばかり言うって。正しいことだけを言う人間は、自分のことを完璧に整合性のとれてる存在だと思い上がってるって」

ここ、痛かったなあ。有川ひろさんの『図書館戦争』にて「正論は正しい、でも正論を武器にするのは正しくない。お前が使ってるのはどっちだ?」を思い出させられる文章だった。
と言うのも最近私自身が「君が正論で詰めてくるのが苦しい」という他人からの指摘を食らったばかりだったので。ガチで猛反省。
最後の展開も含め 、人間ってそう簡単には変わらねえなあ!と思ったから、ほんと自戒にして生きようと思います。

「明日死んでも百年生きても、触れたいのは彼だけだった」ってセリフはよかった。自分の中での貫一の評価がコロコロ変わるから、自分は普段何を基準にして人間と関わっているんだっけ、とも思ったし、自分の中に透けてみえる他人を比較してフラットに見下すような姿勢が剥き出しになって最悪……とも思わされた。

最後の、「幸せにならなくてもよい。ちょっとくらい不幸なくらいで丁度良い」の言葉めっちゃ好きだったな。幸せと不幸せは確かに対立する一面もあるかもしれないけど、決して対義語ではないんだろうなと思った。

うまく生きようとか、あれやこれを社会的常識として植え付けられたものを一人で抱え込んで解決しようとかしなくて良いんだなって感じられた。
三十代前後になってもう一度確実に読むのだろうな、って物語でした。

作者様を偲んで。

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