見出し画像

2024/7/6 すみれ September edge

柳原…さん…?と声をかけた。声をかけようとしたはずだ。でも成功したかはわからない。
柳原すみれという女子がいる。一つクラスを作れば一人はまぎれてるような、所作や言葉遣いが丁寧で控えめ、決して前に出てこないけど輪の中からは外れない。例えば、そうこれは例え話だけれど、学校内で不特定多数の人物の持ち物がいつの間にかズタズタに切り裂かれるような事件があったとしても犯人だとは毛ほども思わないような、そんな女子。
それが今、薄暗がりの教室の中で重心を低く前のめりでたっていた。獣みたいだ。表情は暗くて伺えない。ただきらりと獣の牙が白く光った。それは一刃のカッターナイフだ。表情は見えないからこそその光が全ての感情を表してるように見えた。狂気一色。
なに…してるの?
なんて凡俗なセリフを僕は吐く。それから僕の目は見る。すみれの前でズタズタに切り殺された無残な絵の具鞄。青い絵の具が血のようにぶちまけられている。
ゆっくりとすみれは近づいてきた。青い血まみれの手と光る牙で。

──すみれの花のような ぼくの友だち

柳原すみれが刃に目覚めたのは九月の始めだという。
キシキシキシキシと歪む蜃気楼。夏のツービーコンテニュー。その緩やかな坂をとぼとぼとすみれは帰宅した。
こーかがすもっくがはっせいしております。どこからか声がする。すみれには聞こえないけれど。
天が焼け海が煮え立つような九月だ。白いワンピースが肩に張り付いてまだらに色を変えている。
近づくと遠ざかる逃げ水を追いかけてすみれはのんのこと歩いていく。
すみれの妹が今日死んだ。あるいは昨日だったかもしれないがすみれにはわからない。火葬場からはきっと煙がでるだろう。妹の煙。
すみれはのんのこ歩いていく。どこにもむかってない。ベクトルがどこにも向いていない。エントロピーが定まっていない。
緩やかな坂のちょうど真上にたどり着いたら泣いてしまおうと思っていた。過去形なのは実際は泣かなかったからだ。
坂の頂点では逃げ水がいた。逃げないですみれを待っていた。ゆらゆらとたゆたう水面。オアシスのようでもあり原始のスープのようでもありネットの海のようでもある。
その水面からなにかが生えていた。
なにもかもが想像の範囲外だったからなにかなんて表現をしたけれどそれがなんの形をしているかは誰もがわかった。刃だ。カッターの刃。冗談のように馬鹿でかい刃。
みているだけでキチキチと音が聞こえてきそうな薄くて鋭い刃。
綺麗。すみれはそう思った。自然に。
そぉーっと手を伸ばして、手のひらがふれた瞬間、チクリと刃が火を噴いた。手のひらの真ん中からぷつぷつと赤が噴く。それが熱かったから、すみれは刃が火を噴いたんだと思った。
その赤を同じぐらい赤い舌でペロリと舐めて顔を上げた時、すみれは刃物に目覚めた。


あまりに散文的すぎるし支離滅裂だ。刃に目覚めたという表現もよくわからない。
でもそれはここ最近学校で起きていた物切り裂き魔の犯人たる柳原すみれの言葉だった。そして名探偵でもヒーローでもないただ凡俗な僕はその言葉をそっくり信じた上で見逃すことにした。
ありがとう、とすみれは言った。キチキチ、とカッターナイフも言った。
それからすみれとぼくは放課後にこっそり会っては人の私物を切り裂いてる。最低な行為だけど一つだけ救いを述べるとするなら赤い血が流れないところだ。
すみれの刃物が赤い血を呑んじゃったら。そしたらすみれはただの切り裂き魔になっちゃう。美しくない。
そして九月の終わりにすみれは物切り裂き魔を止めてしまうけどそれはまだ少しばかり先の話だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?