飼いならしたうつ

うつがひどかった時期に書いた文章や描いた絵を見ていると、鋭いな、と感じる。自分が好きな世界を作っているから刺さるのは当然なのだが、うつを克服した今の自分はなんだか生ぬるい、とも思う。うつで苦しんでいる時期は脱したくて仕方がなかったのだが、なくなってみると、うつによって得ていたなにかがあったのだという感覚を抱く。何かを失ったのにそれがなにかわからない喪失感がうつの原因だと思っていたが、逆にうつを失ったことに対する喪失感もまた別の種類のうつなのだろう。そうなると、もう一度うつが欲しい、ただ当時のように暴走したものでなく、旧知の仲として付かず離れず飼いならした鬱を手に入れる必要がありそうだ。

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