ライ麦畑でつかまえて、という誤訳は名訳

サリンジャーの小説、ライ麦畑でつかまえて、は村上春樹訳だと原題をそのままカタカナにした、キャッチャー・イン・ザ・ライ、と著されている。そのため、野崎孝訳である、ライ麦畑でつかまえては誤訳である、という意見を見たことがある。
そもそも、このライ麦畑の捕手というのは、背の高いライ麦畑が崖だかに生えており、そこで子供が遊んでいると誤って落ちてしまうので、そうならないように捕まえて元に戻してやる、そんな人に私はなりたいというような話であった。しかし、この小説の主人公がまさに崖から誤って落ちてしまった子供なのである。
だから、自分のような人を救えるキャッチャーになりたい、つまるところ誰か僕を見つけてくれ(ベルトルト)っていう心持ちを表すために、ライ麦畑でつかまえて、なのだろう。
結局いつだって助けたいのは、自分のような人なのかもしれない。
助かりたいから助けたい。
救われたいから救いたい。
生きていたいから生かしたい。
どん底に落ちてしまった人だから救える人がいる、ただ、そういう人を救うのに必ずしもどん底に落ちる必要はないのだけれども。
卑小な生を選べるだろうか。

ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとうになりたいものといったらそれしかないね

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