分かっている人ほど平気で分からないと云う

しょっぱい処世術だが、何かを聞いたときに、わからないなあ、という言葉で始める人は信用が置ける、ような気がする。世の中は複雑で、一人間が取り扱える情報には限りがある。認知は有限なので、何か一つの原因に帰属させたり、銀の弾丸のような万能の解決策はないし、あったとて理解できない。しかし、何かを判断しなければならないとき、人は自信のある人や断言しているを信奉してしまう。なぜなら、自分には理解できない領分に精通しているかを判断できないので、そうしたパッケージを持っている人を信用するのがコスパが良いからだ。これはとても寂しい状況だ。結局、声がデカくて、滑舌が良くて、耳障りの良い言葉を皆好んでいるのだから。口の上手い人の側からしても、論理を積まずとも相手を説得できてしまうから、きっと誠実であろうというインセンティブがわかないのだろうと思うと、発信側が悪いのか、受信側が悪いのかも、よく分からなくなってくる。

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