認識のざらつき

良いデザインは融けている。もちろん意識に上りデザインが前面に来る類のものもある、特に建築だとそうだが、基本なだらかな表面で滑りがよく滞りなく流れていくようなものが良いデザインである。僕らの身の回りの事物はほとんどが人工物で、人によってデザインされている。なので特別な認識を持たずとも扱えるようなデザインに整えられている。しかし、この何が融けるかというのには文化差がある。なので海外に来ると、身の回りのデザインでざらつくものが次々と意識されてくる。こうしてみると、いかに僕たちが共有された暗黙の了解を無意識的に押し付けられて生きているかが分かる、ような気がしてくる。こうした経験がどこかで必要なのだ、とも思う。できれば早いうちに。

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