生産性の悪魔

遊ぶと楽しいのだが、後ろめたさが後からにょきにょき生えてくる。"クリエイティブ"な作業を怠った日は、何かと取りかえそうと夜な夜なアイディア帳を開いては、睡魔に勝てず寝落ちする。その背後には、いつも生産性の悪魔が顔を覗かしている。一体全体、これは誰に対しての生産性なのだろうか。実は、楽しんでいた遊びに退屈していたのではないか。好きでやっている創造的な作業が苦痛なのではないか。未来の自分から今を翻った先駆けた後悔なのではないか。どれも少しは当てはまるが、芯を食ってない妄言に思われる、と言い聞かせたとて、三ツ又の槍を持った彼はその影を未だ色濃く遺している。生産性と無縁の行動も後から意味付けをされたときに、成果なるものに寄与させられる。際限のない意味が絶え間なく去来する。無意味はどこだ、日を跨いだ影のように意味が後ろから僕を追い越していく。解脱、とはまた違う無意味を欲してる。意味の不在ではない、意味の非実在とも異なる、意味の怪異が僕には要る、らしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?