英語的な自分の消滅

英語を話している僕も、日本語を話している僕も、大して性格的には変化しないというところまできてしまった。前までは、英語を話すときの自分は比較的根明になってしまうので疲れていたのだが、語彙力や文章力を抜きにすれば、もう大差ない。これは国を超えても人はさして変わらないということと、自分が大事にしているものを大事にしている人が少なく、多くの人が大事だと思っていることが僕にはどうでもいいと思えてしまうことへの絶望に端を発している、ように思う。

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