心から「死にたい」と思ってる人は存在するのかについて。

いきなり個人的な事で申し訳ないがここ最近になって「死にてぇなぁ」とか思うようになった。

何故かと聞かれると生きることが辛いとか思って。

誰かに構って欲しいとか何かやって欲しいとか思って死にたいと言っているのではなく、これから先どうしようかと考えた時に頭に浮かぶ選択肢が死に急ぎルートへと導いてくれる。

明日の仕事嫌だなぁ… でも働かないとお金もらえないし、お金もらえないと生活苦しくなっちゃうし…

こんな感じで考える程に「死」という文字がはっきりとした輪郭をもって頭の中に浮かんでくる。

でも正直いうとマジで死にたくない。

この矛盾が不思議すぎて今回はこんな記事を書こうと思ったわけだ。


<そもそも何故死にたいとか思うのか>


個人的には選択肢的な問題なんじゃないかと思っている。
そもそも僕自身まだ20代なので経験が浅いって可能性もあるとは思うが、「じゃあ十分な経験って何?」って問は長くなりそうなので割愛する。


選択肢的な問題と言うのは、「現状を変えた場合により良い状態になると思えるか」というのが重要なんだろうと思う。

現状を変えると言うのはかなりのコストがかかり体力も必要だ。
週6日で1日8時間も働き、家事やら趣味やらとあっては時間なんぞ全く足りない。


そんな多忙を極める日々の中で未来のために時間を作ることはそもそも難しい、どうにか頑張って時間を作ったとしてその努力は報われるとは限らない

我々は、なけなしの日々から時間やらなんやらを絞り出し枯れ果てる寸前まで努力をしてもその期待はあっさりと世界に無視されてしまう。


極論を言えば上手くいくまで続ければ良いだけの話なのだがそんなことが可能であればきっと僕はこんな文章を書いてはいない。

恐らく「お前の努力が足りないんだよ」とか「○○をすれば成功する」といったいかにもなビジネス文章を書いているだろう。


話が逸れてしまったので戻すが、つまるところ「死」という選択肢が最も楽な選択肢になってしまっているのだと思う。

それはさっきも書いたように経験や知識が足りないなど背景は様々だと思うが、「そもそも新しい事を始めるのが難しい環境である。」そして

「頭でうっすらと過程を考えた時に諦めてしまう。」

これらが僕の選択肢を「死」という1つに絞っているんだと思う。


<じゃあ僕自身本当に死にたいのか?>


最近はよく死にたいと思う。 
朝目を覚ますと仕事に向かうという命令を下される。

それは不思議なもので心の底から嫌だと思っているのに、気が付いたらまたいつもの会社に向かっているのだ。

子どもの頃はよくわがままな奴だと言われていたがこれがわがままな奴のすることだろうか?

もしこの変化を成長、あるいは大人になったと言われるならば僕は心底吐き気がする。

職場についてからは休憩があるとはいえ約8時間半の拘束を受ける。
拘束中、自分の自由な時間のようなものは無い。

そして通勤の時間まで含めると実質的に9時間近い拘束を経てついに家に着くわけだが、そこからも気は抜けないその日の家事が僕を心待ちにしているからだ。

彼は自分自身ではできることが限られているため、僕が彼らの身の回りのお世話をしてあげる必要があるのだ。

当然だが家事と別で自分の体もお世話しなければならない。
僕は体が弱いので雑な食生活や睡眠時間ではすぐに体調を崩してしまう。

一人暮らしの僕にとっては自分自身が風邪を引いたり病気になるといったことは極力避けなくてはならない。

唯一の執事が居なくなってしまっては、王宮の維持ができないからだ。

これほど忙しい1日の中でも執事である僕は己を鍛えなくてはならない。
実際にやっていることは筋トレ、ゲーム、読書が主になるが趣味だからといって侮らないでほしい。

筋トレ、読書に関してはそこまで否定されないと思うが問題はゲーム君である。
ゲーム君に関しては学生の頃から親にもいろいろと言われてきた。

「そんなことしてる暇があるなら~」

「ゲームは暇だからやるんでしょ」

「そんなの後回しにしなさい」等々…

これは現在の職場においても同じである。 

「趣味の時間が持てるだけまし」

「そんなことしてないで仕事しろ」

「それが社会人ってもん」等々…

本当に吐き気がする。
それこそ本心ではないものの全員死んじまえとか思ったりもする。

彼らがどこまで本気で言ってるのかの真意を僕は知らない。
だからあくまでも僕の主観でしかないがゲーム君の何がそこまで悪いのか。

ゲーム君に限る事じゃないが現代に生きる人間は趣味の時間を持つことも許されないのかと僕は思う。

1日の約9時間は仕事へ、家に帰った後も翌日の仕事の為と言って過言じゃない生活リズム。

例えるならF1のレーサーが自身一人でタイヤ交換をしているみたいだ。
拳銃を撃って球を込める作業にも似ている。

学生を卒業してから2年弱、ほぼ毎日仕事の為だけに生きている状況な訳だがそんな僕が何とかして絞り出した趣味の時間。

1日24時間のうち2時間にも満たないわずかな時間。

そんな唯一の自分の時間すら許されないというのか…

学生の頃とは違って自分なりではあるものの一生懸命いきている。
仕事も家事もこなしている。

やっとの思いで確保した趣味の時間さえこうもあっさりと奪われてしまってはあまりにも惨めに感じる。

月の給料だって勤続3年目ではそこまで多くはない。
1日三食食べて、読みたい本を何冊か買って、月に一回仲のいい友人と遊ぶかどうかというくらいの生活のはずなのに給料日に僕の手元に残るお金はほとんどない。

別にクルーザーに乗りたいとか、一人何万円もする料理を食べるとか、誰もが羨むブランド品を買いそろえてるなんてことは全くない。

それなのに学生の頃よりも生活が苦しいとあっては死にたくなるのも仕方がないと僕は思う。


かなり長々と書いたが現状やっぱり死にたいと思ってしまう。

しかしここで今回の本題のような部分に入るが、もし僕が月収100万手取りでもらっているとしたら、僕は死にたくなるだろうか。

もし僕が彼女、あるいは友達にそばにいてもらえたら死にたくなるだろうか

もし僕が今の職場を離れて、いや仕事をやめても今と同じないしそれ以上のお金が思えるとしたら死にたくなるだろうか。


多分ならない。

うん、多分死にたいなんて思わない。
これはあくまで想像の域を出ないが多分死にたくならない。

だって満たされてそうだもん。

満たされてたら死ぬことが最も楽な選択肢になる気がしないもん。

どういうことかというと、僕は今の状況ないし環境、ゲームで言うならバージョンとか? において死にたいと思っているだけで状況次第では死にたくなくなるんだろうと思った。

つまり今僕が死にたいのはある種の錯覚の可能性があるということだ。

これは言うなれば「子供が自分の思い通りにならなくて泣きわめく」状況に似ていると思う。

僕は泣きわめきはしないものの「自分の思い通りにならないなら面白くないから死んでやる」って言っているのだ。

こうして考えると人間って本当にしょーもないとか思ってしまうが、根本の部分が同じとなると解決方法も同じだろう。

本人の、僕の思い通りになればいい。

実際に思い通りにするのは難しいと思うが、大切なのは本当に思い通りになる事じゃない。

僕が思い通りになっていると思えれば十分なのである。


<ここでルフィ理論>


ここまで来て辿りついたのはルフィ理論である。
覚えているだろうか、アーロンパーク偏における一連のくだりを。

主人公であるルフィは、
「自分は何もできないから仲間が必要だ。
その代わりに俺は仲間を守る。」

みたいなことを言うわけだが多分それが丸い回答なんだろう。

やはりどうやったって自分には能力的に限界がある。
今の僕が会社、あるいは社会に対して何か喚いたところで何も起きない。

今の僕はさしづめシャンクスの船に乗りたくて自分で目元を切りつけていたころのルフィといったところだろうか。

つまり僕がやるべきことはSNSという名の海にでて、フォロワーというような仲間を見つける事なのではないだろうか。

そう考えると現代は素晴らしい。
自分で船を準備して危険な大海原へ出なくても家とかでスマホかパソコンを開いてしまえば実質出航完了。

嵐のなか航海をしなくとも発信をすることで仲間と出会えるかもしれない訳だからもし、ルフィやロビンがいたら余裕過ぎると笑われてしまうだろう。


<終わりに>


ここまで3300文字とかなり長々と書いてしまった。
時間にしておよそ2時間半。 仕事のふりをして書いてきたがここまで読んでくれた人がいるなら是非とも僕の事をフォローして欲しい。

今後も少しづつではあるが何かしら思いの丈を書いていくと思うので拡散とかもしてほしい。

もし僕が死にたくならないところまで辿りつくことが出来たならその時は必ず何らかの形で恩返しをしたい。

ルフィ的に言うならば仲間を守る、あるいは宝払いといった具合だろうか。

今後の僕のために少しで良いから力を貸して欲しいと一方的なお願いをしてこの話の結びとさせてもらう。


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