いつ起きるかはわからないが、起こったあとどうなるのか知っているシナリオだけで戦う

 座禅瞑想していて唐突に起こる痒みや痛みは、いつどこにどのように起こるのか普通は予測不可能だ。
 しかし、たとえば座禅の姿勢は腰に負担が掛かりやすいという事実認識や、元々腰を傷めているという状態把握を基にして、腰がそのうち痛くなる瞬間が訪れそうという予想はできる。逆に、最初は痛くてもやがて痛くならなくなってきたりもする。
 予想ができるのは予兆や傾向があるからだ。座禅していると腰が痛くなるという傾向を既に座禅体験を繰り返して知っていれば、次もまた痛くなりそうだと思わざるを得ない。痛みが強まる前に微細な違和感程度の痛みを予兆として感じていれば、続けている内にもっと痛みが強まりそうだと思わざるを得ない。
 筋肉や神経由来の痛みに対して肌のかゆみには予兆と傾向があまりなく、頭、鼻、背中、耳など、不規則な場所に唐突にかゆみが散発する。
 かゆみがいつどこに起きるかはわからないが、起こったあとどうなるのかは既に繰り返し体験していれば部分的に予測ができる。
 また、どこかには唐突に起きるものだ、という事実を知っていれば唐突に起きた時に動揺したり不思議がったりはしない。
 ヴィパッサナー瞑想中のかゆみは、かゆみ、かゆみ、かゆみ、と感覚に意識を当てたあと、捨てる、捨てる、忘れる、忘れる、などと念じてまた別の身体現象に意識の集中を変える。消えずに再び感じるなら同じことを繰り返す。そのうち本当にかゆみは感じなくなる。
 普段かゆみは掻かなければ解消しないかのように体験と体感を得ているのだが、瞑想をしていると放置しても案外薄れていくものという新たな体験と体感を得たりする。
 このような痛みの起こる予兆や傾向、かゆみに対する体験と体感の分析は、為替チャートのテクニカルやファンダメンタルズによる分析と何も変わらないではないか。
 チャート上のいつどこでどんな現象が未来に起きるか、という高精度の予測はできないが、特定の現象が起きたのを観測したあとどんなシナリオが展開していくのかは部分的に予測可能である。
 個人投資家が戦うのは膨大なチャートの描画から抜き取った、わずかな一部のシナリオだけだ。それは自分が既に体験し、事実認識や状態把握を繰り返し、予兆や傾向をよく知っており、体験と体感を得て予想を得られているシナリオである。

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