見出し画像

「特撮」堂々巡りその8

この一連の文章はなんだったのか。
何のことはない、「特撮」を巡る堂々巡りである。

なぜ、特撮という概念が曖昧になったのかというならば、そうでなかった時代は「実写のテレビまんが」という理解で大体まにあったからだ。
「テレビまんが」とはなんじゃらほいというひとの方がもはや多いだろうから、説明しよう。
1980年代前半ぐらいまで有効だった、20時までの全日帯で放送していた30分の放送枠のアニメ或いはドラマである。
対象は児童からティーン層、ファミリー向けである。
廃れた最大の理由は1970年代後半のアニメブームで台頭したアニメファンが児童向けのイメージが強いテレビまんがの呼び名を嫌い払拭したからだ。
だが、他にも1979年の「3年B組金八先生」の成功で児童を対象にしたドラマがゴールデンの大人の時間で成功し、殊更にテレビまんがの枠でやる必要もなくなった。
結局、児童向けドラマで生き残ったのは、玩具販促番組としての特撮番組だけだったのだ。

そんな時期にこんな作品が放送された。
「仮面ノリダー」である。
1989年、昭和の終わりから始まった「とんねるずのみなさんのおかげです」内のコントである。
1971年の「仮面ライダー」のパロディであり、本来的には特撮作品扱いもどうかと思う、だいたい同番組内の他の「キャプテンウルトラ」や「サンダーバード」、「NIGHTHEAD」のパロディや、他局の「地球戦士フリルマン」(1989)はどうなの、という話になるが、兎に角同時代的に無視はできないレベルにヒットしてしまったのだ。
学年誌の表紙にまでなってしまったノリダー。
しかしながら、パロディは原典が有名でなければ受けはしない。
仮面ノリダーの成功は特撮ヒーローというものが説明不要なぐらいに浸透した証なのだ。
と言っても、結局はバラエティ番組の一コーナーに過ぎないから可能であったのかもしれない。
その後はスーパー戦隊シリーズのパロディの感覚戦士ゴカンファイブのその後を描いた「エアーズロック」(2012)や活動が下火になった黄金戦士トレジャーVを描いた「乾杯戦士アフターV」(2014)に本家の妄想世界の戦士を描いた「非公認戦隊アキバレンジャー」(2012)が制作され、他にはヒーローとダークヒーロー、怪人、怪獣が実は小学校時代の親友でシェアハウスで暮らす人形劇「フォーカード」(2018)という作品もあったが、いづれもマニアックな層に受けた感がある。
大体エアーロックに関してはガイナックスが前身のゼネラルプロダクツ時代に制作した自主映画「愛國戦隊大日本」(1982)のセルフパロディ的な側面もあって…。
そんな時、とつぜん奴が来た。
「TAROMAN」(2022)、まさしくなんだこれは。である。
NHKの深夜に始まったでたらめなこの作品が岡本太郎の展覧会のアピールのために制作されたと言われても、脳が追いつかない。
一々昔の特撮作品に見せるような作り方をしている上に本編終了後には一々この作品は1972年に制作されたという体の解説が入る。
この作品は作中に奇獣という巨大生物とヒーローにみえるだけの何者かであるタローマンが戦うという設定の上に、この作品が1972年に制作されたという設定まで盛ってあるのだ。
しかしながら、どんなに古く見せても、ミニチュアセットの背景で雲が流れたり、パペットサイズの奇獣を違和感なくタローマンに合成する画面はデジタル技術なしでは困難な絵作りでありTAROMANはまごう事なき21世紀の作品なのだ。
ただTAROMANはその後の「タローマンクロニクル」では後者の1972年に制作された設定が押し出され、作中に登場したメイキングスチルの「タローマンが監督を指導する写真」は「ウルトラマン」メイキングの「円谷英二がウルトラマンを指導する写真」のパロディであるが、どれくらいの人が理解できるのかわからないが、こんな作品が地上波放送の特撮作品として成り立つのが凄まじい。
更に翌年の「おやすみタローマン」はおそらく史上初の着ぐるみのキャラがミニチュアセットで延々何かをやる様子を流す環境映像なのだ。
こんな作品が受容されヒットし、新しいものを生みだした現状こそが日本特撮の一つの到達点とみることも出来る、ような気もする。

話を戻すが、1981年当時ホラー映画は地上波では「お茶の子博士のHorrorTheater」にしか居場所がなかったのだ。本作の「怪獣が出てきた日」という半ば伝説になった話では、人々から蔑まれた怪獣マニアの青年の前に町を破壊する怪獣が出現し、彼を蔑んだ人々も青年も踏み殺される。

平成以後、SFを題材にしたドラマが増えたのも、日本各地でヒーローものの特撮作品が制作されるようになったのも、世間がサブカルを認知するようになったという結論でまちがいない。
ただ、総体としての作品は増えたのだろうが、1960-1970年代の方が豊かであったようにも見える。
であるからTAROMANはその時代を騙ったのだろう。

ここに来て、なぜ特撮の定義がわかりにくくなったのか、という話の前提の特撮の定義が出来たのは…1972年ではないか。
TAROMANが放送されていた、と詐称した時代だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?