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竈門炭治郎(かまどたんじろう)は判断が遅いと殴られる必要はあったのか?




竈門炭治郎は何故、判断が遅いと言われたのか

 主人公の竈門炭治郎に「妹が人を喰った時お前はどうする」と鱗滝左近次は尋ねる。炭治郎は即答できず、直後に鱗滝が炭治郎の頬を叩き「判断が遅い」と叱責した。その後、もし妹が人を喰ったときにすることは「妹を殺す」「お前は腹を切って死ぬ」ことであると伝えた。(参照

 炭治郎はこの時、家族が鬼に食い殺され唯一生き残った妹の竈門禰豆子が鬼になり、禰豆子を人間に戻す方法を探している状況であった。
 炭治郎は家族が殺されるまで鬼の存在を知らず、鬼と言っても人間との違いが何なのか、人を食うか食わないかの違いなのか、生き物として鬼と人間は全く違うのか分かっていなかったはずだ。

 そんな状況の中、「妹が人を喰った時お前はどうする」という鱗滝の問いに答える為には以下の炭治郎の認識が必要であった。
・炭治郎に妹=鬼、鬼=人を食う。という妹の状態と鬼の習性の認識。
・炭治郎の役割が、鬼の禰豆子を連れて歩く=炭治郎の保護下の元、禰豆子の行動の責任を取るという認識。
・鬼が人を食べた場合の責任の取り方は、鬼自身の命とその保護監督者の命を絶つというのが鬼殺隊の社会通念。
 炭治郎がこれらの認識が無かったどうかは分からないが、鱗滝の問いに動揺して即座に答える事が出来なかった炭治郎はこれらの認識をもっていなかった可能性が高い。

鱗滝左近次は何故、判断が遅いと言ったのか

 鱗滝は弟子(冨岡義勇)からの推薦文により炭治郎の元に向かうが、鬼に殺されかけても尚、鬼への同情心を持つ炭治郎の優しさを感じ「もし妹が人を喰った時お前はどうする」と尋ねるが即座に答える事が出来なかった炭治郎の頬叩き、覚悟の甘さと判断の遅さを叱りつけた。

 鱗滝は過去に育手(教育係)として何人もの弟子を鬼殺隊にする為に教育をしていた。鬼が人間を食べる習性から、鬼殺隊に志願する者は過去に鬼に親族が殺されている可能性が高く、志願の動機は鬼への復讐心を頂く者がほとんどのはずだ。だから鱗滝は炭治郎も他の志願者と同様に復讐心から鬼を殺すと考えていたはずだ。しかし鬼と対峙をしている炭治郎からはそれを感じ取れず、殺意や恐れではなく優しさを感じとった鱗滝は炭治郎の動機を疑った違いない。「命がけの任務でもある
鬼殺隊に志願するお前の動機はなんなのか」と。

 この時の鱗滝の炭治郎への認識を冨岡からの推薦文から考えたい。以下が推薦文である。

略啓
鱗滝左近次殿
鬼殺の剣士になりたいという少年をそちらに向かわせました。丸腰で私に挑んでくる度胸があります。身内が鬼により殺され、生き残った妹は鬼に変貌していますが、人間を襲わないと判断致しました。この二人には何か他とは違うものを感じます。少年の方はあなたと同じく鼻が利くようです。
もしかしたら突破して、受け継ぐ事ができるかもしれません。
どうか育てていただきたい。
手前勝手な頼みとは承知しておりますが、何卒(なにとぞ)ご容赦を。
ご自愛専一(ごじあいせんいつ)にて精励(せいれい)くださいますよう、お願い申し上げます。
草々
富岡義勇

https://a4ta10ki.com/giyu-letter/

 まずは”丸腰で私に挑んでくる度胸があります。”という点から炭治郎が劣勢であっても怯まない性格であることを伝えている。
 そして”身内が鬼により殺され、生き残った妹は鬼に変貌していますが、人間を襲わないと判断致しました。この二人には何か他とは違うものを感じます。”という点から過去に家族が殺されており、鬼への復讐心をもってもおかしくない状態であり、生き残った鬼である妹と一緒にいる特別な事情がある事が分かる。
 これらの内容から鱗滝はこれまで志願者と同様、鬼を殺す事が自分の役割と炭治郎は認識していると思ったはずだ。
 しかし鱗滝は推薦文の内容で分からない点もあったはずだ。"この二人には何か他とは違うものを感じます。”の部分は冨岡は鱗滝に何を伝えたいのかだ。考えられるのは
a.「~感じます。”だから炭治郎は鬼の妹と一緒にいますが驚かないでください。」
b.「~感じます。”この二人が協力すれば凄い跡継ぎになるかもしれません。」aは師匠に対して不躾な気がするが、b.は推薦文の後半の趣旨からするとあり得る。だが、冨岡は炭治郎から妹を人間に戻したいと直接聞いてるので
c.「~感じます。だから鬼の妹と共に生きる方法を教えてください。」かもしれない。炭治郎は鬼殺隊に入るのが目的ではなく、妹を助ける事が目的だった事は冨岡は知っているのだから可能性は高い。どちらにしろ推薦文の内容だけでは判断が難しい。

 鱗滝は推薦文の内容から、自分の役割は当然これから会う炭治郎が鬼殺隊に入る素質があるか見極め、素質があれば自分が育手になると認識をもっていたはずだ。しかし鬼と対峙している炭治郎を観ていると、どうも鬼に対して優しい。何故だと疑問が湧いていただろう。この時の鱗滝の頭によぎった事は「炭治郎は人間と鬼の共存世界を作ろうとしており、お花畑の可能性がある。」だったかもしれない。しかし、そうであれば「もし妹が人を喰った時お前はどうする」の問いは生まれず、「なぜ殺さない」→パチンだったはずだ。もしかしたら、尋ねもせず炭治郎の目を覚まさせる為に直ぐにパチンだったかもしれない。実際にはその様にはならず「もし妹が人を喰った時お前はどうする」の問いになったのは鱗滝の洞察力が成せた事である。おそらく以下の事が頭に過ったのだろう。
・炭治郎は妹をまだ人間と思っている可能性がある。
・炭治郎は妹が人間なら、他の鬼も人間と思っている可能性がある。
冨岡の推薦文の不明な部分が、この時に意味をなして
c.「~感じます。だから鬼の妹と共に生きる方法を教えてください。」と解釈の機会を得れたはずだ。どちらにしろ炭治郎の現状認識では遅かれ早かれ鬼に殺されてしまうので、鱗滝の教育方針(鱗滝の教育方針については別の機会に説明を譲る)から目を覚まさせる為のパチンは不可避であったと思う。
 では認識を正す為に頬叩きの後に何故、「認識が甘い」、「認識を正せ」ではなく「判断が遅い」と言ったのだろうか。1つに人間と鬼の身体の能力の圧倒的な差である。鬼に襲われた場合は兎にも角にも普段より早く判断して行動しなければいけない。炭治郎の優しさが判断を遅らせ自分を含め、救えた命を失う危険性を鱗滝は感じたのかもしれない。また炭治郎の優しさが人間ではなくなった妹の状態に対する判断を保留にし、炭治郎の現状認識を誤らせたと見抜いたのかもしれない。

頬叩きは不可避だったのか

 実際の社会において鱗滝の頬を叩くという教育は暴力とされ、看過できない方法である。人を食う鬼を殺すという役割を今後担う炭治郎の現状認識を言葉によって正す事はできなかったのだろうか?ここまで考えてきたが、おそらく出来ない。それは鱗滝の教育方針を変えられないというよりも、炭治郎に原因がある。炭治郎は優しさゆえに今後も鬼と対峙した時、直ぐに鬼=殺す対象とはならず、救う対象とまず観ると鱗滝は考えたはずだ。炭治郎が鬼を殺す対象と観るのは最終手段であり、最終手段に至る為に鬼の先制攻撃、鬼の裏切り(炭治郎の希望に対する)を許してしまい、物理的にも比喩的にも傷を負ってしまう道がまっている。鱗滝の先にみた洞察力からすれば、ここまで想像していた可能性がある。故に炭治郎の進もうとしている道は頬叩きで済まない痛みを伴う道で相当な覚悟が必要である事を鱗滝は早めに知らせる必要があると判断したのだろう。

 回避の可能性を作れるとしたら、鱗滝に出会う前に炭治郎の事情を知っていて認識を正せる人物だが、それは富岡ただ一人である。富岡にそこまでの説明が出来ただろうか。この出来事以降の物語を読むと分かるが、富岡は言葉で人に説明する人物ではない。では推薦文の中に一言「殴らないでください」と加える可能性はあるだろうか?ない。推薦文に表れているのは師匠への畏敬の念である。その相手に対して教育方法の口出しは出来ない。仮に一言加えたところで弟子である富岡から鱗滝が自分の教育方法を変えるのも想像し難い。なので頬叩きを教育方法とする鱗滝、その鱗滝を師にもつ富岡と頑なともいえる優しさを持つ炭治郎が出会った時点で頬叩きの定めだったのである。


なんでこんな事を書いたのか

 私は人によって判断の速さの違いがあり、速さの違いはどうしようも無い事だと思っている。それは判断の為に考慮に入れている事柄の範囲が人によって違うのだから、判断の速さの是非を人に問う事は出来ないし、判断の範囲をそろえれば同じ速さで判断できるかと言ったらそうではないと思う。そんな想いの中で鱗滝の判断の速さを問う頬叩き教育方法をあまりに理不尽だと思い。一度この件についてしっかり考えてみようと思ったのがこの記事を書いたきかっけである。分かったのは鱗滝の教育者としての洞察力の高さであり、弟子を死なせたくないという思いであった。鬼が住まう世界での生死に関わる状況では鱗滝の頬叩き教育方法は妥当という結論に不本意ながらなってしまった。でも実際に自分が会社の上司とかに判断が遅いと叱責されても知らんし、叩かれたら会社辞めて訴えますけどね。
 もしこの記事に反響があれば以下に関して続きを書きたいと思う。

  • 上司と新入社員と竈門炭治郎

  • 顧客と開発元と竈門炭治郎

おわり。

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