自分を守るフィルター

自分を守るために意識的にこわいもの、嫌なものから距離をとることは逃げじゃない。

例えば、世界の紛争のニュース、コロナのニュースを意識的に見ないようにしている人に対して、
「世界で今起こっていることは把握しておきなさい。」と注意するのはお門違いである。

私もそんな感じで、身近な人の死を経験したとき、意識的にではなかったかもしれないがその出来事から距離をとった。
それを「きちんと向き合いなさい」という大人もいなかった。

しかし、あることをきっかけに私は向き合わなければと思ってしまって、死について深く考えるようになってしまった。
それは、命の誕生である。
私は2年前、助産学生だった。(今は助産師としては働いていない)
分娩介助実習をしていて、そこで初めて命の誕生を目の当たりにした。
なんと表現したらいいか分からないけれど、不思議な気持ちになって涙がでてきた。

生と死は対極にある。
命の誕生に携わる仕事がしたいなら、死について自分の中で整理しておかなければならない。
そんな気持ちになった。

そして、死についてたくさん思い出して、たくさん考えていたら、私のなかの生きたいと死にたいのバランスが崩れてしまった。

命に関わる職業になるからといって、生と死に向き合わなければいけないわけじゃない。
身近な人だったからといって、その出来事と真正面から向き合う必要はない。

自分を守るためのフィルターは逃げじゃない。
今はそう思う。

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