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樋口円香『ダ・カラ』について考える

シャニ5thを前に突然投げ込まれた超弩級の爆弾。樋口円香sSR『ダ・カラ』――その内容にノクチル界隈は騒然となるのだが、樋口円香の女をやっている自分も当然の如く被弾した。いや配布sSRでなんてものを出すんだよ正気かシャニマス。
ということで、自分なりに『ダ・カラ』を噛み砕くための壁打ちです。考察とかじゃなくて、ぜーーーんぶオタクの妄言だから気を付けてください。

ダ・カラを読んで、内容はこれまでもずっと示唆され続けてきたことの答え合わせで、うっすらとそうなのではないかという予感を感じていたのに、どうしてこんなに衝撃を受けたのかずっの考えていたんだけど、樋口円香の美しいものの答えと透への感情を、初めて明文化したことが衝撃だったのかもしれない。
樋口円香は大切なことほど言葉にしたがらないので、美しいもの、そしてそれへの感情も明示されることはないだろうと思っていたのが、ダ・カラで覆されたのが。円香が求めているものは、形がなく透明なものなので、透への感情も言葉にすることはないと思っていた。
円香が大切なものを言葉にするのを厭うのは、それ(透明で形がないもの)を言葉に押し込めることにより正確さを失うことを不誠実だと感じているというのが自分のこれまでの所感だったんだけど、それがいまUNTITLEDやオイサラバエル、バグ・ルを経たこのタイミングで『嫌い』という言葉にされたことに、必ず意味がある。
その意味をずっと考えていて、初めは言葉にせずには『いられなくなった』のではないかと思っていたけど、それよりは言葉にすることによって、そこにある憧憬嫉妬敬愛羨望といった円香自身受け入れるにはあまりにも重く大きな感情を、『嫌い』のなかに押し込めたかったのではないかと。
いわゆる言霊というと簡素化されすぎだけど、言葉は逆説的に感情を規定し、自らを縛る檻となり盾となる。樋口円香は、その奥にある焦がれるような憧憬と自身への失望に正面から向き合うのを恐れて、浅倉透が『嫌い』だと口にした。だからこそ『嫌い』という言葉を額面通りに捉えてはいけないし(いや捉えてる人いる訳ないけど)、『嫌い』という言葉から溢れたものにこそ目を向けなければならない。そして浅倉透に対して使われた『嫌い』は、より正確に言うならば浅倉透の美しさに心を乱される自分が『嫌い』であり、ああ在りたいと強烈に望みながらも届かないという確信を得てしまった自分自身が『嫌い』というのが、感覚としては近そう。
(余談だが、樋口円香はシャニPに対しても度々「嫌い」という言葉を使用している。いつも優しいあなたが嫌い、なんかが顕著だが、その嫌いの意味合いは「自分の心を掻き乱されるのが嫌」が概ね近いのではないか)
走り出してしまった浅倉透を追いかけ、シャニPに捕まりアイドルに引き摺り込まれた樋口円香。ただ、何も成さずだらだらと生きていられたなら、再びその『美しいもの』に焦がれることなどなかった。WINGでは身の程なんて知りたくない、自分のレベルを試されたくないと口にした円香。期待すればするほど傷つくことになる、信用すればするほど裏切られたときにより辛くなるのだから信用したくない、といった臆病な諦念を彼女は抱えていたが、アイドルとして活動していくうちに、形のない『美しいもの』を追い求めていく様子がピトス・エルピス等のコミュで描かれていく。精巧で、複雑で、繊細で、透明な音のような、美しさ。そして「ダ・カラ」で樋口円香は自分がああ在りたいと手を伸ばし続けていた『美しいもの』の根源を目の当たりにするとと共に、届かないという確信を得る。
アイドルなんかになるんじゃなかった、という後悔は遅い。だって樋口円香は既に自身の中に激情を抱えているし、再び「美しいもの」をみてしまった。
(樋口円香が想う「美しいもの」の根源について、ダ・カラ以前でどの程度認識していたのかは議論の余地があるところだが、ピトス・エルピスやオイサラバエルの時点では「美しいもの」の形を掴もうとしている段階のため、ダ・カラで浅倉透がそれであったことを思い出してしまった、と考えていいのではないかと思う。)
ではいまこのタイミングで、なぜ「ダ・カラ」が出てきたのか。
それは、『嫌い』という言葉に押し込めなければ『いられなくなった』ほどに、樋口円香の中の激情が強まっているということではないかと。「笑っておけばなんとかなる。アイドルって楽な商売」と諦めてただ日々を過ごすならば、そもそも浅倉透の美しさに焦がれ心を搔き乱され『嫌い』だなんて、口にすることにならない。浅倉透との関係も勿論重要なピースではあるんだけど、それ以上にこれまでずっと書かれてきた彼女自身の中の激情に、樋口円香は樋口円香自身と向き合わなければいけない段階にきているのではないか。
さてここから先のシャニマスの世界は、樋口円香にとっての美しいものが浅倉透であるということを明示された、いわば樋口円香セカンドシーズン(?)だ。限定でやるべきような重要コミュを配布でやったってことは、ここから先はもう一段階樋口円香について踏み込んだシナリオをやるのだろう。(というかそういう手段が取れるなら、普段から重要コミュを限定にすな!!!!!)
樋口円香の中には、ああ在りたいという渇望がある。では、樋口円香は樋口円香が「分かってしまった」ように、本当に浅倉透に届かないのか?美しさとはあくまで主幹であり、樋口円香の傍には、樋口円香自身に美しさを見出したシャニPがいる。だが樋口円香は、シャニPに美しいと言われても納得することはないだろう。樋口円香が目指す「美しいもの」の正解は、あくまで浅倉透なのだから。ではこれから先、樋口円香は届かないと知りながらあの透明さを目指していくのか?……という問題に対峙していくのが、樋口円香セカンドシーズンになるのだと思う。
そしてダ・カラを踏まえた今後の展開について、副読本となるのがつい先週末5thで披露されたてほやほやの『アスファルトを鳴らして』だ。
だって樋口円香が「追いかけてばかりじゃ きっと君が見えなくなる」って歌ってるんだもん。そういうことだよ。
自分は樋口円香が浅倉透に届かないとは思わない。だって、「透にできることで私に出来ないことはない」のだから。(これも、そう在りたいと自己を規定する強い思いの言葉だ。)
でも、そう在りたいという激情も全部ひっくるめて、樋口円香は樋口円香のままで美しいとも強く思っている。だから、樋口円香は浅倉透の模倣ではなく(あるいはその「美しいもの」を自らのものとして飲み干し)自分の足で歩き、いつか胸を張って浅倉透の隣で笑えるような日がくることを望んでいる。

……ごめんちょっと途中から何言ってるか自分で分からなくなってきたわ。限定含めて全カード持ってても樋口円香のこと何にも分かんない。なんか雛菜マイコレと限定小糸ちゃんもくるしノクチル新規イベもやるんだって。いくら何でもノクチル限定連打し過ぎでしょ狂ってる。助けてほしい。

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