「尊敬する」ということ
尊敬できる奴いる?いねぇよなぁ!!?
「あなたの尊敬する人は誰ですか?」
入試や入社試験なんかでよく聞かれた。
今も同じような質問をされているのだろうか?
これがとても苦手だ。
昔から誰も尊敬してないから。
「不遜」を地で行っている。
凄いなと思う人はいる。
ただ尊敬にまで至らない。
「至らない」だって。不遜だ。
齢57になる。社会人になってから転職をしたことが無く30年以上同じ会社で働いた。
それでも見つからなかった。
見つからないの理由は簡単だ。
人を尺度に分けて…
この時点でもう不遜極まりないんだろう。
とにかく分けてみた時に、かなり高得点を叩き出す人がいる。
だが満点はいない。
これを読んでくださっている方の周りにだっているはずだ。
例えば企業人として、清潔で卒がない、人望も篤い、知識もあれば経験もある。これで見かけも良ければ言うことなしかもしれない(「ルッキズム」は排除できないと思っている。その前に「ルッキズム」を理解できていないかもしれない)。
ただ、カラオケは好きだが歌は大したことがなかったりする。
え、そんなこと?
そう、そんなこと。
そして、もう少しめんどうなのが、そんな高性能な人でも老いるということだ。
知識が次第に時代に追いつけなくなっていく。本人がもがいても脳が思うように動いて、覚えてくれない。
だが、これが個人ではなく、集団、簡単にいうと「会社」になんかだと、そこをカバーすることがある。
集団ならなんとかいけるかも
働いていた会社を辞めたのは健康上の理由が大きかったのだが、それ以外にも団生活が苦手でどっかで見切りを付けたかったということもある。
ただ会社自体はそこそこ良かった。
上から物を言う。不遜は続く。
何が良かったのか具体的に書いてみたいのだが、辞める時に守秘義務契約を結ばされた。当たり前のことだ。逆にそういう仕組みが無いような会社だった褒めない。
で、その契約があるからぼんやり書くけど、根っこがしっかりしていた。
この根っこは一朝一夕にできたものではないように思う。創業者が偉かったとか言う話なら、これまた褒めない。きっと誰かが褒めてくれてる。
会社はそれなりの歴史があって、その間、新陳代謝を繰り返しながら続いているところだ。
だから個人が衰えたり忘れたりするようなところを、明文化されているいないに関わらず抱え続けていられる。
伝統も維持できる。時にリフレッシュする。
だから、けっこう高みに昇る。
いい話は続かない
さてと…
褒めたあとには?貶すのよ。
本題はここからかもしれない。
新陳代謝の中で理念が形成されるんだけど、その理念が形骸化しがちなのは仕方がない。にんげんだもの。
…ちょくちょくパクっていきます。
形骸化した理念でもしつこくしつこく唱え続けると覚える。おそらく、その程度の捉え方でいいんだろう。
何か合った時に思い出して、形だけでも立ち返れば、まあ役に立つ。ような気がする。
ところが守らないのか守れないのか、そんな奴が出てくる。
その九割九分ぐらいは水が合わずに転職、残ってもやらかして退職、悪ければ免職になる。
あの…俺はやらかしてません…円満(俺的には)退社です。
でも残りの一分が会社の中で出世したりする。
「変革者」として。
実際にはあまりたいしたことはしてないことが多いのだが目新しいし、会社で外しても世間で受けることがある。
回り回って社会的に正当なやり方だったら問題ないが、けっこうズルしてたりする。
そういうのは辞めた後でもズルをする。
だんだん何を書いてるのかわからなくなってきたのでマトメに入ります。
そもそも具体的な事を書かないから伝わらないだろうし。
さて…
一度、辞めた会社にクレームを入れようかと思わんでもない。
内情を混ぜて出版したバカがいるから。俺には守秘義務課せといて、そいつはいいってな筋が通らない。
まあ、たぶん大したことは書いてない(読んでない)。Amazonのコメントがヨイショばかりだった。なんで辞めた年寄を持ち上げてるんだろう?七不思議。
というわけで、この話は要領を得ずに一旦終わります。
「退職半年」はもう少し続ける所存。