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無職半年(1)

名刺を作ればいいんじゃない?

3月末に会社を辞めたので無職生活も半年に至った。

幼稚園に入園してからこの方、ずっと切れ目なく組織に所属していた。大学なんて大好きだったから5年もいた。

ようやく、そこから離れた。退職と同時にいろいろ抱え込んでいたものも整理した。

「我が人生に一点の悔い無し」

…だと思い込んで書き出したんだけど正解は「一片」らしい。でも頭の中でネタが先行してしまったのでこのまま行きます…

さて、オラが人生にも一点の悔いはない(もう、この時点で悔いている…)。うちの悔いたちは優秀なのでそんな赤点は取らず、皆、合格基準を遥かに上回ってくる。
俺は「悔いの進学塾」かもしれない。盗撮はしていない(嫌な時事ネタ)。

その中でも最大のクイーン・オブ・ザ・悔いは「住宅ローン」だった。これには四半世紀ぐらい苦しめられた。
それを退職を機に改め、すっぱり返済を諦めた。家の事なので逃げ場はなく売却した。今はその上がりで食いつないでいる。住処は借り物にした。

こうなると組織の縛りも無く、当然、肩書も無く、借金もなく、子供もいないのでしがらみも少ない(さすがに無いわけでは無い)。いっそ責任感さえかなぐり捨ててもいいような気になってきた。
とはいえ、あまり捨てすぎると困ることになる。

組織の後ろ盾(表現に問題でも?)がないと個人の力量だけでイキることになる。生きることになる。
これまで会社がやってくれていた税金だの保険だの社会保障だのは自分の身に降ってくる。これは覚悟していた。

問題は社会的信用だ。
保証してくれる人はいないので、これはもう一人で頑張るしかない。
ご妻女はいるが長らく専業主婦だったので、配偶者の信用に頼っていた(この問題はけっこう深刻だ)。

ただの宮仕えが「元どこそこに勤めてましてね」は悪手だと思っている。だって相手の人はそれにどんな意味があるのかわからないんだもん。というか、ほぼ意味はない。お世辞に「すごいねー」ぐらい気のない返事はもらえる。

かといって初対面の人に「無職です」と自己紹介すると、だいたい一回引かれる。相手がいい人だと「こんなとこで飲んでて大丈夫なの?」と言ってもらえたりする。前提がどんな場所かお分かりいただけただろうか?

すでに書いたごとく賃貸マンションに住んでいる。県をまたいで引っ越した。だから周りもほとんど初対面だ。幸い、程よいコミュニティがある街だったので助かっている。

ただ、この「借家暮らし」はこれまた怪しまれる要因になる。偏見だと思われるかもしれないが、まあ世の中こんなもんじゃない?

なので怪しい人として生きることにした。ちゃんと言うと「なんだかよくわからない人」をめざしている。全然、ちゃんと言えてない。

とにかく愛想だけで生きている。責任感を捨てると厄介者になってしまうので、そこはかろうじて維持。どこへ行くにもユニクロだが、不潔だと嫌われるので同じ服を色違いでたくさん買っておいて、取っ替え引っ替え着回している。

そして、もう一つ生きる術を学んだ。

とある場所で知り合った人に「何はともあれ名刺を作っておくといいよ」とアドバイスしてもらった。その方は無職ではないが遊んでいる(本人に読ませたくない)。
たしかに会う人会う人、名前やら連絡先やらを伝えるのにけっこう便利な代物だ。まだデジタル化とか個人ベースでやるとなかなか馴染めなかったりするし。思いやりのある俺はそこにQRコードを入れたりしている。

というわけで本日のまとめは「名刺って素敵」です(書き疲れる終わるタイプ)。

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