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自分のメディア力の重要性


側から見て「あの人は何をやっているのかわからない」という状態は「白紙」ではない。
人は空白という状態に耐えられないから、その空白を憶測で埋めようとする。
「たぶん○○なことをやってるんじゃないか」
「○○なことを考えてるんだと思う」
などと思われ、同じ憶測を持った人間が二人以上になるとまるでそれが真実かのようにささやかれるようになる(噂話など)。

意思は伝えなければ伝わらない。


勝手に決めつけられて「どうしてわかってくれないんだ」「なんでわかってくれないの」と思ったとき、以下の2つを自分に自問してみる。

①「わかってもらうために自分はどんなことをしたか」
②「自分は人のことをわかろうとしているのか」

人は、相手の丸1日の行動を全て見ることはできない。
どうしても見聞できた部分的な情報だけで相手を判断してしまう。

表現されない自己は無に等しい。


という言葉もある。
私たちはよく、伝える内容の方に一生懸命になるが、聞く方は予備知識も含めたあなたというメディア全体が放っているものと発言内容の足し算で話を聞いているのだ。

どうしたらこちらが口を開く前に「話を聞きたい」と思ってもらえるかどうか。
「メディア力を高める」ということは、
自分の聞いてもらいたいことを聞いてもらえるメディアになるということ。
少し引いた目で自分をとらえ、「こう見て欲しい」という自分の思い描く実像に普段の自分を近づけていくことだ。

大事なのは自分の偽らざる内面のうち、どの面を見せ、謳ってくのかということ。
よく自分以上に自分を大きく見せようとする人がいるが、戦略としてうまくない。考えてみればわかる。
外から見て相手はこちらに期待する。その期待値に自分の内面が伴わないのだ。そうなると関わるごとに相手から期待値以下の実感を持たれる。
結果、コミュニケーションの出口には相手からの「幻滅」が待ちうけている。

個人のメディア力は時代性や運などどうにもならない部分もあるが、自分の営みによって形成されていく部分が大きい。
日頃の立ち居振る舞い・ファッション・表情・人への接し方・周囲への貢献度・実績。何を目指しどう生きているか。それをどう伝えているのか。
それらの積み重ねが、周囲の人の中にあなたの印象を形作り、評判を作り、「メディア力」として舞い戻ってくる。



(※あなたの話はなぜ「通じない」のか/山田ズーニー著 参照)

◎今日の呟き
「表現されない自己は無に等しい」とはよく言ったものです。
私は飽き性で、めんどくさがりです。多分根本的には昔から何も変わっていません。
だから、何か人間関係で「ああ、この人と関わったらめんどくさそうだな」と思ったらまず関わろうとしません。
相手から好意を持たれようものなら嫌いなそぶりを表に出していましたし、何なら今でも出します。相手のことを何も理解していないのに。
なぜなら私の人生において論理的に「私は○○な考えを持っていて自分でも自分のことは一般論で考えるとおかしいと思うけど、そういう奴だから君とは考えが合わない」と伝えても「わかった!」と言って関係性を保ってくるような奴がいたからです。
そのとき初めて人に好かれる怖さを知りました。
思えばそれからでしょうか、あまり自分を表現しなくなったり、普段からお洒落して着飾ったりしなくなりました。
考えると、そうすることで自分を、関わりたくない相手にとっての「無」にしたかったんでしょうね。
(興味を持ってもらいたい相手にだけいい顔するようにはなりました)
論理的に説明するのも面倒なのに、説明してもわかってもらえないなら相手から興味の対象外になるしかない。効果はテキメンでした。

そのまま引きこもって、同僚と飲みに行ったりAmazonPrimeでアニメ見て楽しむだけの人生でも良かったんですが、私はニーチェの教えを知ってしまったことで、自分が憧れる「力」を求める欲求に気付いてしまいました。

そうなると「無」ではいられません。
と言ってもSNSやnoteを使って自分を表現するのに普段の行動は証明できない。
ではどこで人間性を証明できるか。
それが「継続させること」にあるように私は思います。
有名YOUTUBERは皆さんほぼ毎日のように動画をUPしてたりしますしヒカキンも毎日動画を上げていたことで有名ですよね。
直接見てもらえないのなら、その行動をイメージさせるような結果を残すこと。何の才能もない人がSNSなどで評価されるにはまずそういったところが基本なのかなと思いました。

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