190919_文筆

確認と救出の文筆作業。

一年前くらいに、ある人から
「毎日、エッセイ書いてみなよ。一年経ったら変わるから。」
そう言われた。

そんなことできないと思った。そしてできてない現実。

そりゃあ一年前は休職中で、イワユル、意欲ってやつはなく毎日時間ばかりが目の前に横たわっていたから、書くことはできたけど。
ちょっと人と会うために外に出れば、夜帰宅してから会話やらなんやらでどっぷりエネルギーを消耗した頭を揺さぶって、誰かに読まれる文章をつくることは難しくぽつ・ぽつと休む日があった。
仕方ないんだ。

休職からしばらくしてふと顔を上げてみたら、そこには世界が広がっていた。
それこそ異国に足を伸ばした。全く知らない色で描かれた空や街。空気の重さや部屋の隅にかたまった埃だっていままで見たことあるそれとは異なっていた。
そして自分の生活の中にあった空や街、ビル、そこを行き交う人々。色んな、色んなものをもう一度見たあとに、自分の足元を見つめた時。
社会に戻ることにした時。誰かに読まれるとか読まれないとか、そんなこと関係なく何かを書くことに充てる力はなくなった。
どうしようもなかったし、どうしようもしなかった。

一年前のわたしの見立て通り、書き続けるなんてできなかった。

見立て通り、なのに、悔しい。
わたしがいま再び社会から少し距離を置いているから?
一年前のわたしの決意を無駄にしたから。

見立て通り、だから、悔しい。
やりたいと思ったことさえ続けられない、情けなさ。

きっと、見立てとか本当は違う。
いま、わたしは悔しいのだ。いま此処にあるわたしが悔しがっている、それだけのこと。

書くことは確認と救出の作業。
わたしは今日も生きているか。
わたしの世界にわたしはいるのか。

書き続けたその蓄積は、確認のために戻る場所に、救出の搬送先となる。

嬉しさや歓びのその先の話。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。