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アルプスごはん

この春、ほとんど馴染みのない土地にやってきた。
主たるお仕事も変わった。とある拠点の立ち上げで、そのためにチームがつくられた。その一人としてわたしはここにきた。

土地も、住環境も、仕事内容も、職場環境も、ぜんぶあたらしい。
もちろんわたしは波にのまれた、のまれている。

スケジュール管理の愚かさもトッピング。身体を休めるゆとりは、グーグルカレンダーを何度見てもない。そこにあるのは色とりどりの帯、テトリスだったらとっくにゲームオーバーだ。
波は荒れ狂っている。

色とりどりの帯の一つに、友人たちとのお出かけがあった。

3人で乗り合わせて、目的地へ。
このあたりに住んで10年になる彼女に運転はすべてお任せしてしまったことに申し訳なさを感じた(いまも感じている)けど、彼女はニコニコ「走り屋なんで!」といって、抜け道ルートを爆走してくれた。

走り屋じゃない方の(どちらにも失礼)友人が予約してくれたごはん屋さんは、大通りに面しながらもカウンター6席だけのちいさなお店。席に座ると後ろはすぐ壁で、お手洗いを借りるために移動するのも一苦労だった。
メニューは定食とカレーのふたつだけど、メニュー表には文字がびっしり。それぞれの料理名と一緒に生産地や生産者さんの名前、地名の入るちゃんとした食材の名前がこまかに記されている。たったふたつの選択肢に迷いながら、前者を選んだ。

しばらくして、カウンターの向こうにいる店主さんからおぼんが差し出される。「おまたせしました。あ、こちらで置きますね」。振り返れば壁とのせまい隙間にスタッフさんがなれた感じですっと入っておぼんを受け取り、わたしの目前にやさしく据えてくれた。
目に入る、どれもが温かかった。
大きなお皿にのったこまごまとしたおかずたちも、ごはんも、おつゆも、ぎゅっとおいしいことが見ただけでわかった。

はあ、と思わずため息が出る。
手を合わせる。「いただきます」。

お椀を両手でかかえて、おつゆを一口。かぶやじゃがいもなど、根菜類のポタージュだったのだが、まさに、根っこのおおもとから先の方へ水がつたっていくように、身体のなかに染みていった。

一口ひとくち、大切にいただく。
もともと到着時は腹ペコだったし、とにかく美味しくってぱくぱく食べ進めることはできるけど、そんなのもったいない。食べては「ほう」と一呼吸おいて、メニュー表にある素材や生産者の名前を改めて眺める。すると店主さんが「それはね」と、素材がどこからやってきたのか、どんな調理方法なのか丁寧に話してくれた。
そしてもう一度口に含むと、なんか、また違って感じられた。

食べ進めれば食べ進めるほど、食材とその生産者、さらには、料理が盛られた器とその作家にまで、一つひとつ敬意が払われていることが伝わってきた。
食べ終わるのがちょっとさみしくなるくらい、愛にあふれていた。

波はやっぱり荒れ狂ってるし、帯はやっぱりテトリス状態だけど。
そんなときでも、
どんなときも、
こんな愛にまさるものはないね。


この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。