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プロフィールの”明るい”に丸は一生付けられない

「明るさに助けられてます」
って、言ってもらった。

仕事のやり取りも、プライベートな関わりも、ほとんどがスマホPCを介したメッセージ主流のこのご時世に、いつも使っているんだろうフツーの油性ボールペンで「社内は、あなたの明るさに助けられてます」って手書きされた小さなカードを、もらった。

わたしが小学生の頃「プロフィール帳」っていうのが流行っていて、特技やら趣味やら好きな芸能人やら何やらを書き込んでいた。それは年を重ねればmixiプロフィールや前略プロフ(わたしはこれを作る人種ではなかったけれど)に変わった。
似たようなもので新卒で入社したときに作られた新入社員図鑑、最近だとマッチングアプリの自己紹介なんかが思いつくけど、どれにも”性格”欄はある。
そしてどれにも”明るさ”が項目の一つがあって、それにちょっと困らせられていた。

そりゃ「明るく振る舞いたい」とは思うけど「明るい」なんて胸を張って言えない。そもそも、わたしが明るいかどうかなんてわたしが判断することではないのだ。
(と、思うくらいにわたしはネクラだ!)

だから、この年になって「明るさに助けられてます」と、変な嫌味や気遣いやその他諸々のノイズをいっさい孕まずに言ってもらえるなんて、嬉しくって仕方なかった。
が、それ以上に一周、いや二周まわって、身体がこそばいどころか痒い。

わたしのどこかから『そうじゃない』と聞こえてくる。
そうだな、多分、奥歯を噛み締めた部分からもっと奥の方へと進んでいって、ちょうど喉の上辺とぶつかるあたりに小さな黒い穴みたいなのがあって、そこから『そんなんじゃないんです』って聞こえてくる。

・ ・ ・

わたしが明るいのはわたしのため。
わたしが生きやすい半径2メートル世界をつくるため。

おなじ輪の中にいるんだもの、気持ちいい関係でありたいじゃない。
ちょっと面倒なことだって「全然いいですよ、やりますよ。」って笑顔で引き受けられるし、どうしても何かを頼まなくちゃいけないときに「すみません…」ってはにかみ顔で声をかけられる。
そうすれば必要以上の摩擦を起こさずに、ものごとをすすめることができる。

ピリついた空気の中で、何をするにも緊張してエネルギーを使うなんて、ナンセンスだと思うだけ。「トントン」って終わることなのに、「…ト、トンッ。ああ、すみません!」なんて面倒でしょ?
そう、THE打算&効率&合理的な思考回路をたどって、体現している「明るさ」なのだ。

…なのだが!

・ ・ ・

打算&効率&合理的な思考回路のもとの「明るさ」のはずなのに、気づけば疲れている。
必要ないエネルギーを使わないように明るく振る舞っているはずなのに、気づけばエネルギーを消費しきって疲れているのだ。

生きやすさのために明るくいるのだって、やっぱりエネルギーは使うのだ。摩擦が起きないから気づかないだけで、しかも大概明るく振る舞っている自分の内側だけに溜まるようだ。(相手は、摩擦が起きていないし明るさを受け取った側だからね)
そしてこの溜まった疲れはやっかいで、ちょっとやそっとで取れる疲れではないみたい。この間は溜まりに溜めてしまったそれが、ある朝起きると身体の内側で鉛のような何かに化けて、ベッドから離れることができなかった。
推しのために大切にとってある、貴重な有給ストックは無情にも減っていく。

一方で、生きやすさのために明るく振る舞っているといいつつ、自然と明るいわたしでいる時もある。
その、目的とか下心とかなくなんかご機嫌に振る舞っていた、みたいな。その状態の時、いろんなことがスムーズに流れて、とても気持ちがいい。
水の上に右足を踏み出すと、踏み出そうとしたその水面に浮き石が現れて足がつく。また左足を踏み出せば、また浮き石がキャッチしてくれる。
そんななめらかさがある。

・ ・ ・

生きやすさのため、それはうそもの。
うそものが本物に。
本物はうそものだった?

それは紙一重。
そんなもんよ、それで十分じゃない。

どうであれ、溜まっていく何かは見逃さないように。
抱きしめられるように。

それでもやっぱり、「明るさに助けられてます」なんて、ああ痒い。
こんなことをツラツラ書いているわたしは、性格欄の”明るい”に丸をつけることは一生できない気がする。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。