190902_とうもろこしクランキー

とうもろこしのクランキー、よのなかの端っこ。

とうもろこし味のクランキーを買ってみました。
「とうもろこし味」の前に、やや小さいフォントで「北海道産」の文字。
(カフェや雑誌で「和栗のモンブラン」なんて言葉を見た時に「小布施産」とあるとドキッとするかもしれない)、手元のクランキーを二度見したけどやっぱり「北海道産」の文字。

ちょっと閉じていたツイッターを覗いてみました。
知っている誰かが、「本当にいい仕事仲間に恵まれていると感じた一日。自分も頑張ろう。」とつぶやいていた。
また違うところの知っている誰かが、「思うところあって活動に参加できる人数を減らしていこうと思います。」と。
今度は二度見はしなかった。

昨日、9月になりました。今日、月曜日でした。
子どもたちは夏休みが明けて(もちろん全てが今日からではないけれど)。
ここ最近の学校へ行きたくない子どもたちへの、主にネットを通じた呼びかけや取り組みをみると、少しザワザワしてしまう。

子どもの夏休み。は、どんな?
ママの(ときどきパパの)夏休み。は、どんな?
もっとときどきおばあちゃんとおじいちゃんの夏休み。は、どんな?
あなたの夏休みはどんな?

一方大人は、先週末締日であれば一段落ついて、昼食の時間もちゃんと取ることができているんじゃなかろうか。
外を歩くのも辛くない気温になってきたから、出勤時にコンビニで昼食を買ってきていた事務員さんも声をかけたら外食に付き合ってくれそう。
「コンビニのメニューも飽きてきましたしね。」
なんて。

それを聞いて
「またまたそう言って、嬉しいくせに。」
なんて。とっておきのお店を紹介してしまう。

ここでいう「大人」に属さない人はよのなかたくさんいる。むしろそちらのほうがたくさんいる。わたしもそうだろう。

よのなか。
わたしのよのなか、何で出来てる。
よのなかのわたし、何で出来てる。



北海道産とうもろこし味のクランキーのように、わたしには「◯◯産」をつけることができない。不安になってしまう。
クランキーにもなれない。クランキーが羨ましい。

わたしは「仲間」や「活動に参加できるひと」になれるのか。不安になってしまう。
「なれる」権利をひとまず持っておきたい気持ちが呼吸を早める。

本当に何か看板がほしいのかどうかも、自分には聞かずに。
わたしは不安になる。
本当にその仲間になりたいのかどうかも、自分には聞かずに。
わたしは不安になる。

わたしのよのなか、何で出来てる。
よのなかのわたし、何で出来てる。



よのなかってなんだ。
わたしってなんだ。
これらはとても密接のようだ。

ほんとうに?


この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。