心配してもらえること
木曜の夜は久しぶりに大きな地震が来て、怪我などなさった方もいらして大変だったかと思います。昨日は一部電車などの運休遅れもあり、出社されなければならなかった方は大変だったかと思います。
我が家は、震度5弱にも関わらず、特に被害もなく、揺れた時は、目の前にある、新品のテレビと、ビール専用冷蔵庫を状況によっては守らないとということは脳裏に浮かびましたが、二つとも特に被害なくノホホンとしてました。関西に住んでる実家の親は心配して、LINE、電話は一応来ましたが、東日本大震災のときも、皿一枚割れなかったので、特に心配してませんでした。
また、木曜日の地震直後に自社の安否確認システムから連絡が入り問題ないことは回答してました。
金曜日は、在宅で自社の仕事をしていたのですが、ご丁寧に取り引き先のお客様から安否確認のご連絡を頂きました。仕事だから、当たり前のことなのかもしれませんが、一応心配してもらえるというのは有り難いなとおもいながら、なにかの組織に所属してるから社交辞令といえ感謝もあり、学校や会社はめんどくさい、嫌だなと思う時もあるけど、そこに所属しているから、心配してもらえるんだなと思い、地震がきても、誰からも心配されないというのも、寂しいとおもってしまうこともあるなと思いました。
人に心配してもらえる環境
外国人が日本で留学生として勉強していて、今回のような地震があったら、不安に感じた人もたくさんいらしたと思います。
そんなとき、心配してくれる、友人、先生、家族とうまく連絡がとれたら、安心だし、たとえ大丈夫であっても
誰からも連絡がないのはきっと寂しいだろうなと思ったりしました…。
心配してもらえる環境、人をもつこと、そーいう環境に感謝すること。
大事だと思います。
今日はこの辺で
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