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PERFECT DAYS

気になっていた映画を観てきました

立て続けにいろいろな人たちがお勧めしていて
そのタイミングでアカデミー賞の受賞をみて
調べてみるとまだ劇場でやっているとこのと


ドイツ人の監督が撮った
東京に暮らすひとりの男性の日常

「PERFECT DAYS」

ネタバレになってしまうかも
まだ観ていない方は
ご覧になってから読んでいただいた方がいいかな

なんだか、この映画を観た人と話したい
でもうまく言葉にできる自信がないから
話さなくてもいい気もする
だから備忘録のようにここに残しておきたいと思います

ほとんどセリフがなくて
淡々と毎日同じ日の繰り返し
映画を観ているのに、特に何も起こらなくて
それでもひとつも退屈したり間延びすることがない不思議
むしろ、他のことを考えたり気が散ることはなくて、気づいたら「何も起こらない」ことの安心

普通の映画なら「ここでこれが後で何かのきっかけになるんだな」とか伏線みたいなことを考えてしまうけれど、そういうものがほとんどない
そこに期待することもない

あるのは、ささやかな日々

公共のトイレを掃除する清掃員の毎日


目が覚める
歯を磨いて身支度をして
植物に霧吹きで水をやる
アパートの扉を開ける
空を見上げる
コーヒーを飲む
音楽を聴く(カセットテープで)
仕事をする
神社の木の下でサンドイッチを食べる
お風呂屋さんに行く
休みの日は掃除と洗濯
ちいさな植物を育てる
決まったお店で少しだけ飲む

自転車
スカイツリー

繰り返すその日々の中で
誰とのことにも感情を大きく上下させない

あえてそうしてきたのだなぁと感じ取れる出来事が起きて、見ているこちらはそれを想像の域でわずかに理解する

誰かとのことで、ほんの少しうれしそうにしたり
憤りを抑えて、自分の心のしあわせで片づけたり
いいとか悪いとか、正解とか間違いではなくて
誰の中にもある、この瞬間を淡々と積み重ねている気がしました
誰の中にもは、ないのかな
少なくとも、わたしの中にはある

大きな木が風に揺れるのを毎日眺めて写真を撮る
空を見て気持ちが落ち着いたり
小さく芽を出した植物に掬われたり

美しいものは人によって違うけれど
たぶん
この映画がこんなにもたくさんの人に「いいね」と言われるということは
みんなこういうことを「美しい」と思ったり
それによって
いろんな日があっても「今日はいい日だった」と思たりするんじゃないかと思いました

華やかなことも、大きな悲しみも切なさも
喜びも特別な幸せもない
それでもじんわりと流れる涙を
わたしはうまく説明できない

強いていうなら
共感とか安堵だろうか
「わかる」と思うと同時に心が動くような
不思議な涙

そしてこの映画がわたしにとって大切な映画のひとつになったのはラストシーン

この日常の繰り返しをいつまでも眺めていたいけれど、映画のラストはどんな風だろうと思ったら
美しい美しい東京の朝焼け
ひしめくような都会にやってきた朝

どんな一日があっても
同じようにやってきた朝
繰り返し繰り返しやってきた朝

いつも通り車を走らせて仕事に向かう彼の涙の理由は、美しい朝陽

人はこんなふうに涙するのだと
なんだかそれがとても安心だった

感情を抑えて
日々のしあわせを静かに味わう彼がおもう
「きれいだなぁ」の涙

幸せとはなんだろう
満たされるとはなんだろう
しなければいけないことって?
心ってなんだろう

PERFECT DAYS

静かに繰り返す日常から感じたことは
「生きる」ということ

何者かにならなくても
特別なことなどおこらなくても
誰かからみてすごいことや
人から言われる嫌なことや
誰かに思う嫌なことや
誰かと比べてできたりできなかったりや
何かを望んだり、
それが叶ったり叶わなかったり
そういうものをみんな手放して
自分の中のしあわせを持っている強さ
そうやって、生きるということ

この映画を観た人と
うまく話ができなくても
なんだかよかったねと話せたらいいなと思います

どこかの展示で、もしも機会があったら
この映画の話をすこししましょう

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