虹の橋のふもとで
お盆です
わたしの住む場所のすぐ近くにこの街のお墓があって、今日はそこに向かう一本道がずっと渋滞
みんな、大切な誰かを思って
寂しさとありがとうがないまぜになった気持ちを抱えて長い列に並んでいます
家族の集まる行事になって、向こう側の人たちはそんな様子を扉の向こうから微笑んでみているのかな
ドロが透明になって一年と半年
このところ寂しくてたまらないのはこの季節のせいだろうか
先日のこと
テレビで、犬を迎えた家族の日常を取材したものが流れていて、慣れないことの連続にみんなそれなりに大変で、きれいごとや喜びばかりでは済まない犬との暮らしは家族を疲弊させたりもするのだけど、そんな日々の積み重ねからかけがえのない家族になっていくようすに、ドロとの日々が重なって辛くなってしまいました
辛い、というのとは違うかな
寂しくなってしまった
ほんとうに、寂しくなってしまった
はっきりとした意思をいつも持っていたドロと暮らすのはなかなか大変なこともあったけれど
わたしの感覚という感覚の全てがドロを感じて一緒にいたから、体も心もそれを感じなくなってやっぱりある意味それまでのわたしではないような気がしています
どこかでずっと、ふわふわと別な世界にいるような変な感じ
Instagramで、お家の人が帰ってきて
大喜びする犬の動画をみていると
いつの日かわたしがまた向こうでドロに会えたら
こんなふうに、あの頃のように
ジャンプしてキャンキャンと高い声をあげて
だっこだっこと泣くのかな
そんなふうに思います
会えなくなってこんなに時間が経ってしまったら
ドロはちゃんとわたしのこと覚えてるだろうか
迷わずに帰って来られるだろうか
そんなことを話しながら
お墓を超えて近所のラグビー場までお散歩したら
仲良く飛び交う3匹の蝶に会いました
ストーリーに載せたら
何人かの人たちから
「向こうから帰ってきたのでは?」とメッセージが
ファンタジーに救われるわたしは
両親とドロ ということにしておきます
ドロ、元気でいますか
きみに会えない毎日は今もずっと寂しいよ
きみは今もわたしの大事
かけがえのない相棒よ
迷わずに風に乗って帰っておいでね
待ってるよ
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