おんちゃん

ただ生きているだけ。

おんちゃん

ただ生きているだけ。

最近の記事

曖昧、空気、

生き急いでしまうのは、、、 曖昧な状態に耐えられなかったから。 根本的な問題がイカれてる。 慣れてしまわないでおいたほうがいい ずっと死にたいって思っていればいいと 自分で自分に呪いを掛けているのか。

    • 6年6月27日(木)

      今度、マッチングアプリをはじめたら プロフィールの趣味は、 「絶叫、激辛好き」と入力しよっと。 昨日、富士急ハイランドへ行ってきた。 なんだろう、翌日のこの爽快感は。 いやなことをさっぱり忘れたし、 来年、再来年のこともどうでもいいし、 なによりなにかが満ちている。 いまの自分に満足している自分がいる。 躁鬱がひどくなり思考力が衰えるし、 友人も恋人も減ってかなしい現実や、 仕事が続かないという絶望も味わい 日々のやるせなさは十分にあったけど なんか、今はどうでも

      • 2024年6月21日

        わたしがヘラヘラしている理由は、 自分の答えを持っていないから。 ヘラヘラして、その場を凌ぐが よくなかったんだと25歳になって気づく。 「どうせできない」とか 「そろそろ死ぬし」とか 諦念でやる気が出ない脳になっている。 ダサくてもやってみるのが大切なのに 100点じゃなくて1点を目指せば 多分生きることができるのに。

        • 2024年6月19日(水)

          マッチングアプリの男と会ったが その人と恋愛をしようと思わなかった。 むしろ、その人のために懇親的になれるか?と 自分に問てみたところ、即答「ない!」。 理想が高く、自分自身を棚に上げて 相手を論うのは如何なものか。 会話も続かないし広げられない。 仕事も続かない、社会不適合者なのに。 なぜ、マッチングアプリを始めたのか? それは、一生独身であることに不安を抱いたから。 まわりが幸せになっていくのに、 私は不幸せだと思った。 比較して劣等感を抱いた。 わたしの

          2024.6.16 (夜)

          AmazonとXで練炭自殺で使うアイテムや確実に逝く方法を調べている。 私の理想は、一発。 眠剤は必要だろうけど、貰えるのかなぁ。 生きているだけで恥を晒して、 激辛やアルコール、大食いで誤魔化した。 またやっちゃった、またこうなるのかな、 恥ずかしい感覚と共に記憶健忘が癖、 人とちがう意見を発言して、 この子ちょっと可笑しいなって思われる瞬間 私は、真剣だからこそ、死にたくなる。 その場から自分自身がいなくなればいい、 消え去りたい願望と、 その場の人の記憶から私

          2024.6.16 (夜)

          2024.6.19(日曜日)

          だれかに悩みを相談したい。 でも、そんな事したら迷惑かな。 矛盾と葛藤。 幸せになりたい。 いや、いま十分ではないか。 わたしは、幸せにならない方を選んでいる。 でも、不幸になりたくない。 到着地点決めたいけども わざと直視しないように脳をころしている。 自分をずっと嫌いでいたい。

          2024.6.19(日曜日)

          2024年6月8日(土曜日)

          音楽をじっとり聴きたいときに限って、 イヤフォンの充電がゼロ。 The2を聴いて、元気出したいのだけれど イヤーマフをつけてやり過ごしている。 お風呂に浸りながら「鬱の本」を読んだ。 いま1番の癒し本と言えるかもしれない。 今月、誕生日を迎えると26歳になる。 来週の土曜日は友人と会う約束があるし、 来月は従兄弟の結婚式で横浜に出かける予定もある。 今の状態のじぶんを、 その場所に連れて行きたくない。 オードリー若林は、「自分探し」という単語にあまり良い意味は持たな

          2024年6月8日(土曜日)

          2024年6月7日(金曜日)

          こんばんは、おつかれさまです。 今すぐに寝入りたいところですが、お風呂で考えたことを書きましょう。 東京でひとり暮らしをする社会人3年目、 土日完全週休なので華金とサザエさん症候群。 ボーナスの振込金額に驚かなくなり、 貯金も増えてきた頃に、好きな人と結婚。 デートの帰り際が惜しくなり同居。 働いたあとの夕食ではビールで乾杯。 そんな生活を夢に見ていた。 私の夢って恐ろしいほどにテンプレートだし、 応用が効いていない、つまらないなぁ。 私って、本当につまらない。

          2024年6月7日(金曜日)

          2024年6月3日

          仕事中、退屈凌ぎにアイスクリームを食べたい欲を生み出して、休憩。「美味しい、おいしい」と言いながら、初めて食べたような印象を残す。それは、悲哀に似た感情を慰めるように、じぶんがここにいる理由をだれかに納得してもらいたい衝動で。