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ミュージカル『マリー・キュリー』感想~予測不能で未知なるもの~

ミュージカル『マリー・キュリー』を観劇した。これが非常に素晴らしい作品だったので、久しぶりに感想記事を書こうと思う。本作品を観劇したのは、主演の愛希れいかのファンだからというのが一番の理由だった。しかし、韓国で多数の賞を受賞しているというだけあり、非常に意欲的な作品でマリー・キュリーという人物を通じて科学というものに真摯に向き合う姿勢に心を打たれた。

ファクション・ミュージカルとは?

ミュージカル『マリー・キュリー』はファクション・ミュージカルとカテゴライズされている。ファクションとは聞きなれない用語だが、ファクト(歴史的事実)とフィクション(虚構)を織り交ぜた作品となっている。

実際に観劇してみて感じたのだが、ファクションというのは良い面と悪い面の両方があるように思う。良い面は、歴史的事実に基づくことにより作品のメッセージ性が厚みを増してより強く訴えかけてくることだ。後述するが、本作は非常にメッセージ性の強い作品で、マリー・キュリーを通じてそのメッセージを的確に伝えるためには、作品の中のフィクションの部分が絶対に必要だった。だからファクションという形を取ったのは英断だ。

気になるのは、作品のメッセージに合うように虚構を織り交ぜることによって、創作の部分もまるで事実であるかのように伝わってしまうリスクがあるのではないかということ。歴史的事実に上手く創作を取り入れると、まるで創作部分も事実であったかのように感じてしまう。事実と虚構を見分けるのが難しくなっている昨今、実在の人物をモチーフにその境界線をあいまいにする作品作りに気になるところはある。

ただ、こんなふうに思うのは本作品の脚本がとても良くできてからでもある。作品で演じられるマリー・キュリーの生き様や苦悩はそれほど真に迫っており、訴えかけてくるものも強い。

作品のテーマ

作品のテーマの中心は『科学』だろう(化学でもよいかもしれないが、ここではより広い定義の科学という言葉を使うことにする)。科学というキーワードを中心に2つのテーマが作中で取り扱われている。

マイノリティ

1つ目のテーマは『マイノリティ』。マリー・キュリーはポーランド人で、フランスでは異国人でありマイノリティだ。そして当時としては、女性の科学者は極めて少数であった。劇中で彼女はソルボンヌ大学の学友に「ミス・ポーランド」と揶揄される。彼女はマイノリティの代表のような存在なのだ。しかし、科学の前ではマイノリティであることは関係がない。彼女が新しい元素の発見という偉業を成し遂げたのは、仮説を立てて、ひたすらに実験を繰り返して事実を積み上げたからだ。マイノリティであるという当時の社会的ハンディキャップの中で失われない、科学に対する真摯な姿勢は胸を打つ。

考えてみれば、幼少期に読んだ伝記ではマリー・キュリーは「キュリー夫人」として記憶に残っている。マリー・キュリーではなく、ピエール・キュリーの夫人。女性ながらに偉大な功績を成し遂げた人。でも本来は「女性ながらに」は余計なのだ。劇中で偏見なしに彼女を支える夫ピエールだけが、この視点に至っている。現代でも「リケジョ」なんて言葉がある。女性の科学分野への進出を奨励することはもちろんよいことだが、この言葉も一歩間違えると「女性ながらに」という偏見を内在してしまうことは忘れないようにしたい。

科学の功罪

もう1つのテーマ、それは科学の功罪だ。とても重く、大事なテーマ。マリー・キュリーが発見した元素「ラジウム」は、世の中を明るく照らすなど文明の発展に貢献し、医療分野においても皮膚がんなどの治療にも新たな道を拓く。一方で、ラジウム工場で働くマリーの仲間たちは放射線の有毒性によって次々に体調を崩し、命を落としていく。科学的新発見は常に予測不能で未知なるものであり、功と罪の両面を内包しているし、善でも悪でもない。

自らが発見したラジウムが世の中を良くすると信じて製法を無償で公開し、医療への応用に没頭していたマリーが、その同じラジウムの毒性によって仲間の命を蝕んでいると知ったときの苦悩。無限の可能性を諦めたくない、しかし有害性を公開すれば健康を害する人が増えてしまう。苦悩し、それでも真摯に科学と向き合うマリーの姿は感動的だ。(実際にはラジウムの有毒性が顕在化したのはもう少し後ということで、ここがフィクション)

科学の功罪はとても身近なものだ。鉛・カドミウム・水銀など有害な化学物質が引き起こした公害は人類の歴史上忘れてはならないものだし、福島原発事故以降の原子力の議論も、副反応のあるワクチンの是非も全て科学の功罪に関わるものだ。悪い面に目をつぶって礼賛することも、良い面を無視して全否定してしまうのも間違っている。科学に対して真摯な姿勢は、両方を認めて事実を積み上げること、そして折り合いをつけるための道を模索することだ。ラジウムを安全に運用するための指標として、キュリーという単位が制定されたというのは、それを象徴する終わり方だった。

まとめ

ここまで書いてきたように、本作のテーマはかなり重いものだ。これをエンタメ性の強いミュージカルの世界で作品化したのは、本当に意欲的だと思う。韓国ミュージカル界の先進性を強く感じた。その作品に目をつけて、日本に持ってきたアミューズと日本版の制作に携わったスタッフ、そしてキャストにも拍手を送りたい。
苦悩しながらも科学と真摯に向き合い生きるマリー・キュリーを演じた愛希れいかさん、偏見に囚われることなくマリーを温かく支えるピエール・キュリーを演じた上山竜治さん、マリーの最高の友人アンヌを演じた清水くるみさん、科学の罪に目をつぶって暴走するルーベンを演じた屋良朝幸さん、そして全編通して舞台を支えたアンサンブルのみなさん、最高でした。ありがとう!

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