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一歩目を踏み出す。

わたしが一生やらないだろうと思うことはいくつかあって、それは例えばママさんバレーだったり、サーフィンだったりする。
「縫うこと」を断固拒否する人にとって、それはわたしにとってのバレーやサーフィンなのだろうと思う。

バレーやサーフィンなんて考えただけでもこわい。

と同時に何回も何回も「縫う時間」を作り出してきて
わたしは一緒に縫う時間を共にした方々から
たくさんのことを教えていただいた。

一緒に縫おうよ、と言って「うん」という人は数少ない。
「わたし、家庭科は全部母親にやってもらった(これ多数)」
「もう、針に糸を通せない」
「昔から、本当に縫うのがいやだった」
「家庭科でろくな思い出がない」
「自分で縫うくらいならお金払ってやってもらう」
そしてだいたいにおいて、いかにへんなものを作ってきたか、という話しに終始する。

ちなみに、わたしもそうだった。
学校の家庭科にろくな思い出がない。


そういう方々がわたしと一緒に縫うことを始めてくれるという事実。
そして、口から出る言葉が
「一緒に縫うっていうことが、こんなに楽しいとは思わなかった」
「本当に縫うのがいや、縫う事なんてきらい、縫うなんて絶対にやらないと思っていたけど、・・・いたんだけど・・・できた」
「びっくりした。できた」
「いや・・・これ、やってみないとわからないね。楽しいんだね」

やってみないとわからない。

これが、キーワード。

できないと決めていた人が、私のところへくる、ということからすでにもう一歩は始まっているんだけど、その一歩が本当にすごいことなのだと思う。
その一歩を誰が潰すものか。
そんな愛おしい第一歩。
我が子の立ち上がってからの第一歩と同じくらいの価値がある。あるいはそれ以上。
その一歩を100歩にも1000歩にも、そして最後は自分で歩けるようになるまでしようじゃないか!
貴重な一歩。
わたしにとって、月での一歩よりも大切なのだ。

何が何だかわからないけれど、一歩を踏み出す。
できないと思っていたことに、自分の一歩を踏み出す。
その一歩を踏み出せた人達を心から尊敬する。

ゼロから1ってすごいパワーなんだよ。
特に、資格のない世界でやるゼロから1は、
教科書も何もないから、完全手探りで試行錯誤の連続。
一度その海にこぎ出すと、
資格や教科書がマニュアルがどれほど助けてくれていたかがよくわかる。「資格」「学校」がどれだけ自分を守ってくれていたかがわかる。
と、同時に、どれだけ先回りして答えを教えてくれちゃってて
思考や行動の幅を狭めてしまっていたかがよくわかる。

わたしが何度言われても、
同じ世界で資格を持った人に負けても、
「資格」というものにあまり目を向けないのは、そのため。
生徒を取るなら、資格を取れるようにしたらいいじゃん、と言われても
そんなことは絶対にしない。
自由に、
自分というものをさらけだして、
「わたし」を信じてくれる人と縫うために、
変な鎧は着ない。

そもそもわたしは「資格」というものがどうしても必要な世界では生きていない。それにより出来ない職業もあるけれど、わたしはそちらを選ばなかった。

昨日、そんな話しをたくさんしました。
感動的でした。

わたしももしかしたらバレーボールをしたりサーフィンをする日がくるのかもしれない。
だれかこんなわたしに教えてくれるひと、いるかしら。

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