11/15(日)の日記

完全にこれだった。

辛いことの先に幸せがあるのなら幸せにならなくて良いし、良いことはいらないので嫌なことが起きないでほしいと思っているのだけれど、読んでいる本に同じようなことが書いてあった。

もし自分の子どもが不幸な人生を送るのであれば、①産むのは悪となって、②産まないことが善となる。
反対に自分の子どもが幸せな人生を送る場合、①産むのは善となって、でも②産まないことは”悪”とはならない(=悪くない)。存在すらしていないのだから、”どうして産んでくれなかったんだ”なんて思う人はいない。
ということは、①産むという選択をしたとき、善もしくは悪となる可能性があり、②産まない選択をしたときには善または悪くないという結果になる。それなら絶対に悪とならない②産まないほうがいいのでは?という話。

へえ。

幸せは生きる上で必須のものではなくて、それよりも苦痛をいかに減らすかのほうが重要になってくる。幸せは、本当に余裕があるときだけ求めれば良いんだ。だから、苦痛を感じてまで幸せになる必要はない。嫌なことから逃げて、それで苦痛がなくなるのであれば、きっとその選択は間違っていない。

あと、人生に絶望して自死した人はこの世に執着しているということだから(別の人生なら自死しなかったというのなら、生きたいと言っているのと同じ)、反出生主義の考え方とは全く違うものらしい。反出生主義というのは、自分も相手も、幸せな人も不幸な人も、みんな生まれるべき(存在すべき)ではないという考え方で、今すぐに自死しろというわけではなくて、子孫を残さず、ゆるやかに絶滅していくことが望ましいとされている。

面白い。こういう、暇な人たちによる何の役にも立たない屁理屈みたいなのは、ずっと聞いていられる。

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