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「見える化」って言葉使ってるやつとは友達になれない


ベクトルは違うが「あーね」と同じくらい気持ち悪い。なんだ「見える化」て。


よくいう「意識高い系」が使う語彙ってあるじゃないですか。「アジェンダ」、「シナジー」、「アグリー」、「コンセンサス」、「アライアンス」、「ジャストアイデア」………うーん虫さんトコトコ。


俺はこういう横文字をこれみよがしに使ってくる連中が嫌いだったので大学時代「レジュメ」を頑なに「プリント」と言ってたし、就活で「じゃあ私がファシリテーターやるんで~…」とか言ってくる早慶あたりの女に心の中で中指を立てていた。あいつら絶対指定校に違いない。クソが。


早速学歴コンプ丸出しだが、まぁ100歩譲って横文字系は許そう。なんかそういう横文字に言い換えておけば仕事ができる感が出るというのならそれは受け入れようじゃないか。でもね、鵺野が唯一許せない単語があるんです。それが「見える化」ね。





クッッッッッッッッッッッッッッッソきもくないですかこの言葉。





日本語を日本語に言い換えるケースっていうのは基本的に①もっと短いフレーズに言い換える場合②音を聞いたときにより認識しやすい表現がある場合、そして③他にもっと適切なニュアンスを表せる単語がある場合の3つだと俺は認識している。


①のケースは例えば「食い違い」を「齟齬」と言ったりする場合。あるいはもっと単純に「携帯電話」を「携帯」と略したりね。字数の制約があったり長い単語を反復して使う時に単語を短くして使いやすくするケースだ。


これで言うと「見える化」は「可視化」の言い換えになるんだけど、お気付きだろうか。そう、文字数増えてるんすよ!見!え!る!化!4やん!!!(©さや香)わざわざ文字数増やしてどうするんだ。馬鹿なの?


次に②のケース。これは同音異義語が多い単語なんかによくあるケースだ。「この本は多くの人にカンショウできるよ!」って言われた時になかなか「カンショウ」を「勧奨」に脳内変換できる人はいないんじゃないだろうか。そういった場合は普通に「この本は多くの人にオススメだよ!」って言い換えた方が伝わりやすい。


じゃあ「見える化」はどうかというと、「可視化」って別に聞いても普通に脳内変換余裕じゃないすか。もし「テストの目標をカシカしたほうがいいよ」って言われた時に「菓子化……?え?トッポ3本分とかそういう…?え……?」とか思い浮かべる社会人がいるのだとすればもうそいつは学力以前の問題だ。早急にお医者さんに行った方がいい。


そして③のケース。これはひとことに同義語といっても単語にはそれぞれ微妙なニュアンスの違いがあるからより文意に沿った方に言い換えるということ。「美しい花だ」「可憐な花だ」って言い換えるみたいね。


そこでいくと、「見える化」と「可視化」って言葉として全く意味同じじゃないですか?気になって調べたところ、微妙な差異はあるようだ(鵺野が調べたところ、前者は受動的に見える状態にすることで後者は能動的に見える状態にすることという違いらしい。詳しくはwebへ。)。ただそれらを意識して使い分けてる人とは未だに出会ったことがない。だいたい「見える化」って使ってる奴は語の意味なんて考えずにただ使いたくて使ってる印象を受ける。


以上のことを踏まえると、「可視化」という言葉を使わずにあえて「見える化」って言葉を使う理由が見当たらないんですよね。起源はどうやらトヨタ自動車の方が出した論文らしいんだけど、元々の意図は忘れられて言葉だけが一人歩きしている気がする。それでなんかデキるビジネスパーソンが使う語彙みたいな感じで定着して、イキリたいやつらが脳死で使ってるようにしか思えない。そもそも「見える(動詞)」と「化(接尾)」の組み合わせがキモイんだよなぁ。





日本語の乱れなんて清少納言の時代から嘆かれてるし、言語が日々進化していってるっていうのも分かるんだけど、「見える化」に関してはもう日本語の乱れとかいうレベルではないと個人的には思ってる。乱れすぎ。もはや淫乱だ。ドスケベめ。「失笑」とか「破天荒」の誤用くらいくらいなら鵺野もいちいちピーピー指摘したりはしないが、日本語としてもっと綺麗な言い回しが明確に存在するのに変な日本語が意識高い系ワードとして闊歩してるのは我慢ならん。今日から「見える化」なんぞ廃止にしてやる。



以上。将来の見えない鵺野がお送りしました。





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