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墓地に咲くひまわりと陰湿な田舎

裏の墓地に、今年も巨大なひまわりが咲いた。ひまわりといえば、三池崇史監督版「愛と誠」で、スケバンガムコが巨大ひまわりを担いでお見舞いに行くシーンが最高にエモくて憧れなのだけど、あまり共感を得られない。

毎日の日課である10錠の薬で今日もわたしを保つのだが、今年のよくわからない気候に戸惑っている。梅雨もどこかに行ってしまった。植物たちの梅雨対策、あんまり意味がなかったな。

どうにも心が安定しない。周りと比べて身体も丈夫でないし体力もない、健康でもない、稼ぎも底辺。

結婚して主婦として旦那の地位と稼ぎにフリーライドして人生あがりなんて考えもできないから、同性異性どちらからもマウンティングやサンドバッグの的にだけはされる。

そういうの(主に主婦層か同類)とは距離を置くから、付き合える人間が限られてくるのはそれはそれで良いことなのだけど。やはり地元にいるべきではないのかもしれない。

話は変わるが、すぐに辞めた園芸店のこと。丁寧な暮らしインスタおばさんからの陰湿ないやがらせのせいで適応障害再発手前にまで追い込まれたおかげで、その手の小金持ちおしゃれ至上主義意識高い主婦にアレルギー反応を起こしてしまう。

インスタおばさんは、わがまま放題で建てたおばさん的おしゃれ趣味全開の家と、家族を奴隷にして実現したカントリー調()のDIY庭をインスタでアピールしまくりわたしのカ○トリー誌に載ったのをいつも自慢していた。あの雑誌ダサくて子供の頃からずっとバカにしてたわたしからすれば、おなかいたい。

インスタおばさんはメイクにネイルもばっちり、おしゃれでセンスが良く優しい丁寧に暮らす周りとは違う人として振る舞っていたが、犬を散歩しているだけのおじいちゃんを指差し、老い先短い年寄りは犬飼うな!とか言い出すような女だった。

そのくせ、多頭飼いを嫌う繊細な先住猫(重病)がいるにもかかわらず(わざわざ動物の心が分かる人ってのを呼んで診断してもらったんだとさ)、また職場で面倒を見ていた半野良の保護猫を引き取ってくるから正気かと思う。

自由に暮らしてた保護猫ちゃんはインスタ映え設計の窮屈なおうちに閉じ込められ、先住犬3頭にいじめられながらくらしてるんだと。おじいちゃんのこととやかく言える立場かよ、おまえこそが動物虐待だ。

このざまで心優しい私に酔ってるから、その時点でドン引きだった。本当自分良ければ犠牲は厭わないのね。クソ主婦。

プライベートはさておき、仕事中インスタおばさんの世間知らずさによるやらかしに意見するわたしが気に入らないのか、インスタおばさんは社長と共謀して陰湿な嫌がらせと策略でわたしを店から追い出した。

そうして邪魔者を消して、インスタおばさんがプロデュースした園芸店のリニューアルは品揃えも内装のセンスもそれはそれは酷いものだった。

無責任で向こう見ずな発注による過剰在庫、汚い陳列。ホームセンターの安売りワゴンのがまだマシな毒々しい原色だらけのセンスが悪い植物のセレクトに絶句した。園芸店は市内に色々あるけれど、こんなの一人負け確定じゃないか。

観葉植物はこれまで評判だったけれど、先代が開拓した独自ルートの仕入れは引継ぎを怠り知識経験もないからできず、市場でどこにでもあるさえない商品を仕入れてくるしかできない。ホームセンターと違って安くはない価格で売るから勝算がない。終わったな。

明らかにリニューアル失敗なのに、会社は雑誌掲載もされるインスタおばさんに心酔しきってるものの良し悪しもわからない田舎者ばかりで誰も文句は言わない。

ニッチ層まで取り込むようなクールな売り場作りをしていた先代店長やまともな人は丁度独立転職するタイミングだったから、社長夫妻やおばさんは彼らを煙たがり裏切り者扱いをして、辞めてからもあることないこと噂していた。

インスタおばさんは先代店長の悪口ばかりで、わたしがやればもっと売れるが口癖だった。でもさ、何年も楽な雑用と楽しいやりたいことしかしてない勘違い主婦に何かができるわけないよ、pcすらできないし、経営内部のこと学ぼうとすらしなかったのだから。何年もいたくせに。

田舎の会社の陰湿さナメてた。

インスタおばさんに賛同して誉めそやす人も、インスタで映える暮らしを垂れ流す同系統のお花畑主婦にも拒絶反応を示すようになってしまった。

子持ちじゃない故ママ友付き合いなんてものをしなくて済んで本当によかった。主婦嫌い。

フリーランスの心許なさも精神衛生上良くないが、雇用・就職によって晒される暴力に比べたらマシなのかもしれない。雇用での働き方を続けた結果、チリも積もればでわたしは壊れてしまったから、もとにはもどれない。この世の「普通」は、全力でわたしを殺しにかかってくる。

心を強く持つのだ。もし倒れて入院なんてことになったら、お見舞いには巨大ひまわりを担いできて欲しい。

ひとより劣っているだけで何者にもなれないわたしの生存戦略は、どうすれば良いのだろう。思えば若かりし日、美術・クリエイティブにしか適性がないのが誰の目にも明らかなのに、美大進学が許されなかったおかげで道を踏み外したからせめて絵画教室に通いたいけれど、何故大人クラスは定年後か暇な主婦くらいしか通えないような日時しかないのだろう。絶望。

お見舞いにはひまわりがほしい。

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