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尾崎豊展に行ってきました

なんとか期間中に行くことができました!
尾崎豊展 LAST STAGE
@松屋銀座

幼少期のスナップや家族写真から始まり
デビュー前から愛用していた黒く塗られた学習机
当時を感じさせるマグカップに立てた筆記用具と目覚まし時計
机に彫られた名前や「I Love You」「rock 'n' roll」の文字
自筆のルーズリーフに綴られた名曲たちの歌詞
レコーディングメモの残った譜面や歌詞のコピー
バイトをしたお金で買ったというKAWAIのアップライトピアノ、CP-80やオベーションのギター、自宅スタジオの再現など
写真や映像の展示だけでなく様々な「モノ」から30年以上前の尾崎の呼吸を感じるような愛溢れる展示。

私が個人的に良かったのは、
尾崎の愛読書を展示していたことや、
須藤晃さんとの書簡が何通もあったこと
人間・尾崎豊の関心がどこにあったのか
アーティスト•尾崎豊だけでは見ることのできない部分だなぁと、心がギュッとなりました。

そして展示が所謂足場を組むパイプ材をベースにしており、それもカッコ良く見えました。
展示でも触れている、伝説の日比谷野音での照明具を組んだ7mの高さからのダイブ。あのイメージなのだろうなと。

随所に「尾崎は周りのスタッフさん達からも愛されていたのだなぁ」と思わせてもらえる展示でした。
没後30年の今も、みんなの心に尾崎はいきているのだなぁと改めて想いを強くしました。
公式ガイドブックを買ったので、今年の4/25はそれをじっくり読みながら尾崎を観たり聴いたりしたいなぁ。

展示会場内は撮影禁止ですが、銀座駅直通の松屋銀座への地下動線にはこんな素敵なポスター群もあるので、合わせてチェックすると良いですよ。

4/3今日は19:30まで
4/4明日まで、最終日は17時閉場(16:30まで入れます)
まだの方は駆け込んでください!

以下、「私と尾崎豊」を付け足しておきます(笑)


ーーー


尾崎豊を初めて聴いたのは、確か中二の頃。
当時気になっていた男子が好きだったからというよくある理由で、聴き始めたんだと思う。

私は直撃世代ではないので、お兄さんがいる同級生がBOOWYや尾崎を聴いてる感じだった。
所謂ロック、ちょっとワルな雰囲気のあるファッションの音楽をうちの兄は聴いていなくて、だから「15の夜」や「卒業」はちょっと刺激的でドキドキしたのを覚えている。

中三になり、その意中の男子と念願叶って放送委員になった。
放送委員は週に一度昼休みに好きな音楽をかけて良い時間が回ってきて、クラスが同じだったから、毎週好きな音楽を持ち寄って2人で放送室でお弁当を食べる時間があった。
甘酸っぱい記憶ですね(笑)
その頃に「回帰線」「壊れた扉から」「街路樹」などのアルバムを借りて聴き、アルバムの中の曲に見える尾崎の寂しさや切なさ、そこに見える温もりや優しさの欠片を、私は好きになった。
だから今も、尾崎豊の好きな曲は?と聞かれると、「forget-me-not」と「シェリー」と答える。

30年前の4月25日、彼が亡くなったのは私が中三の春だった。
忘れもしないカーラジオから流れてきた訃報。
父の実家のお茶畑の茶摘みの手伝いに行く車中、その報せは耳に入った。
父に頼んで途中のコンビニに寄ってもらい、スポーツ新聞を買った気がする。
多分夜中に緊急搬送されていたから、死亡のニュースではなくて不法侵入で捕まったとか全身怪我だらけとかそういう内容だったような。
その後の茶摘みをやったんだろうけど、その記憶が全くなくて、父の実家の茶畑から帰路について、帰宅したら、尾崎が死んだ、というニュースがテレビから流れてきて、「ああ、嘘じゃなかったのか。本当に居なくなってしまったのか」と物凄い喪失感で、夜自室で布団をかぶって、「シェリー」を聴きながら号泣したのを覚えている。

だから私は生きてる尾崎をほとんど知らない。
テレビでもあまり歌っていなかったし、動いている尾崎豊をテレビで見たのは亡くなった後の報道だった。

そういう意味でもいまも昔もずっと、
私にとって尾崎豊は、
あったかくて寂しくて、切なくて優しい、孤高のアーティストとして、生き続けている。
そんな存在です。

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