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沖縄時間に欠かせない「ゆらぎ」

はいたい。
琉球ごはんの瑞樹です。

いつもnoteを見にきてくださり、ありがとうございます。

久しぶりのマガジンの更新となりました。

先日のnoteで書いた通り、琉球料理伝承人の講座を受講してきました。

そこで、実技で学んだ琉球料理はデモも含めると26品。限られた時間で、得られる情報の密度はかなり高かったです。

講座を終えて帰宅し、夕ご飯を食べると、すぐに眠くなる・・1歳の娘と変わらない睡眠時間。
毎日くたくたですが、健康的な生活をしていました。

実技の受講中に先生から聞いたこと、
たくさんたくさん教本に書き込みました。

そこで感じたこと。

伝統料理のレシピは「ゆらぎ」と共にある。

どういうことかというと、

例えば「イナムドゥチ」を作るとすると、
味噌によってしょっぱさが違います。
加える味噌の量、砂糖を加える量(もしくは加えない)を加減する必要がある。

「クーブイリチー」を作る時にも、
昆布の産地、商品によって、厚みや味が違います。
中華鍋を使うのか、フライパンを使うのかによっても煮込む時間、足すだし汁の量が変わってくる。

そんな変数を扱いながらも最終的には、伝承された一定の味を作り出す。

そのためには、たくさんの引き出しが必要。
それを使いこなせるのがプロなんだな、という当たり前のことを思いました。
以前からぼんやりとは思っていたけど、今回の講座受講で言語化することができました。

「ゆらぎ」について考えていると、こちらの記事を読みました。

「沖縄時間」「ウチナータイム」という概念を、歴史的事実をもとに見事に説明された内容です。なぜ沖縄県民がのんびりしているのか、というのを、そういう県民性だから!というだけで片付けていた自分が恥ずかしくなりました。

琉球王朝では「日影台」という太陽の光で時刻を知る時計が使われていました。それが30分程度の誤差があったそうです。

そして、沖縄では今でも「旧暦」が浸透していて、そこでは潮の満ち引きや月の満ち欠けを気にしているところもある。
「日影台」「潮」「月の満ち欠け」は、自然的なゆらぎである。

自然が刻む時にはゆらきがある。
沖縄県民はそんなゆらぎと共に生きて来た。

一方で「時間」は概念であり、近代的な思考でもある。
スマホを通して何をしようが必ず「時刻」が目に入る私たちは、自然のゆらぎを感じにくくなっているのではないでしょうか。

最近「デジタルデトックス」と言って、スマートフォンをあえて使わない時間を設けることで、睡眠の質が上がったり、脳の疲れが取れるということがあります。

時刻を見ずに、空気や太陽の光(もしくは夜の暗闇)を感じる力を取り戻すことが、そうさせているのかなぁと感じています。

私もここ何日か、ずいぶんと早めに寝ることを心がけています。

すると朝のゆとりが違う。
時間に追われず支度をすることがこんなにメンタルにいいとは。

今日は金曜日。
皆さま、今週もお疲れ様でした。

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