コンテンツの価値を取り戻す時

前回のエントリーに追記しようかと思ったのだけど、長くなりそうなので別に。この記事は無料で読めますが、投げ銭システムを試してみます。記事の最後に100円で購入ボタンがあるので、記事を読んで良いなと思ったら100円投げ銭してくれると嬉しいな。しなくでも大丈夫です。ものは試しです。

画家(絵を売って収入を得る)で活動していくのは難しい。こと日本だとかなり難しい。活動場所も限られるし、購入層も薄いし、作品の値段は安いし、やってみてわかった事だけど、かなり厳しい。大抵は他に仕事を持ってそれで収入を得ているわけだけど、そうすると制作時間が相当削られてしまう。制作時間が取れなければ、作家としての活動時間(展示で発表する期間が年一回になったり)が削られ、結果活動が軌道に乗るのがずいぶん先の事になる。多くの人に認知され、作品が購入されるようになるまで長い期間がかかる事も珍しくない。5年、10年・・・その間、どうやって収入を得たらいいのか。

ギャラリーに所属しているから安泰かと思いきや、日本ではギャラリーだってお金がない。運営するのもやっとで作家への支払いが滞ったりという話は結構耳にする。良い作品を描いていても、それで生計が成り立つ事が難しい。そうすると中には続ける事ができずに、やめていく人も出てくる。やめてしまったら本当にそこで終わり。どんなに良い原石であっても、生活が出来なければ磨いて行く事もできない。

しかし、儲からないお金がないと悲観しているばかりでいいのだろうか?作家としてやっていくなら、自分自身の作品で生計をたてないといけない。とにかく、自分のスキルでお金を稼ぐこと。この意識が作家にはあまり無かったのではないだろうか。むしろこんな日本だからこそ、作家はどうにかして、がむしゃらに、自分の作品と自分の持てるスキルをお金に換えていかなければいけないんだと思う。

お金になるということは、それに価値があるという事になる。

ネットをやっていると様々なコンテンツが無料で楽しめる。絵を見るのも、誰かの意見を聞いたり、意見を言ったりするのも、動画も音楽も全て無料。しかし当然の事ながら、無料で楽しめるそれらには制作のコストがかかっている。趣味でやっているものであっても、道具代とか時間がかかっている。ネットがここまで広がる以前は、本や雑誌を買ったり、CDを買ったり、何かしらお金を支払わなければ楽しむ事は難しかった。しかし、今は「無料で当たり前」という感覚が浸透してきて、本来対価が支払われるべき仕事であってもどんどん値段が安くなったりと、結果としてクリエイティブの価値が落ちて来てしまっている。

物を作る人間に限らず、自分が何か発信した時に、何らかの反応があると、それはとても嬉しい。対価として何かを得るぐらいかそれ以上の喜びがある。たくさんの人に見てもらいたいし、知って欲しいし、反応してもらいたい。それは純粋な思いだと思う。

しかし、その人が人に見せて素晴らしいと言われるまでに培った能力、これは無料(無価値)であるべきものだろうか?pixivを見ると、様々なメイキングが載っている。本来技術書を買ったりして対価を支払っておかしくないものだ。それを、作り手自らが「反応が嬉しいから」と無料で公開する。雑誌やwebのインタビューだとか、そういったものも取材料がなく無償である場合が多いけれど、作り手が今まで苦心して時間もお金も費やして仕事になるまで磨き上げた技術や過程にはやはり相応の対価を支払ってしかるべきではないだろうか。作家自らが「ものとしての作品以外」の価値をゼロにしてしまっている節もあるように思う。(しかし作家は立場が弱いもので、強く出れない事ももちろんある)

メディアに取り上げられたりする事で、自分の名前が売れて、たくさんの人に知られて、それが結果として売り上げに繋がるという行為を広告と捉えて無償でインタビューなどに応じる、というのもある。それはそれで作家が考えれば良い事だけれど、そんな大回りしないと収入として返って来ないというのもおかしな話に思う。地域のフリーマーケットで良いなと思ったものを100円で作り手から直接買うような、そんなシンプルで単純な事が、今まで作り手にも受け手にも足りなかったのではないか。

個人的に、今まで多くの人に作品を見てもらう為に色々してきたけど、結構な手間がかかる。全て一人でやらなきゃいけないし、見てもらうために体裁も整えなきゃいけない。それなのに直接的な収入になる事はない。そうすると「自分にとって有益だろう」と思うものしかネットにアップしなくなる(多く見てもらえそうだとか)noteでメイキングをアップして、100円で数人に見てもらえると分かっただけでも、少しの人にしか見てもらえないけど収入になる、これだけでかなりやる気が出てくるのはビックリした。そして、色々とできる事が思い浮かんでくる。

今までは「物質がないもの」「ネット上の情報」に対して個人個人に上手くペイされるような仕組みが存在しなかった事もあって、そんな単純な事ができずに個人の発信する「情報」や「コンテンツ」が無価値同然で消費され、それが仕事の場にも広がっていた。

それが、ちょっと前から小額でデータが販売できるというサービスがチラホラ生まれ、今noteというサービスが立ち上がると、「有料」を忌諱するかと思いきや、多くの人が率先して個人の発信する「情報」「コンテンツ」には価値があるんだよという事を言い始めていて、そしてそれを実践し、実益を上げ始めている。この流れを見ていると、いかに「無償」である事に歯がゆい思いをしていた人が多かったか分かるようだ。

自分の発信する情報に、自分で価値をつけられる。受ける側も正当な対価を払って楽しむ事ができる。

全ての人が表現者であるといわれる現代のネット社会において、「物」ではなく、「その人の考え」や「情報」や、そういった「形のないもの」にちゃんと価値がつき対価が支払われる。それがこれからのものづくりをする人にとって、大きな意味を持ってくるのだと思う。

2014年。日本のものづくりが変わり始めるかもしれない。そんな風を感じた。

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