無いものとして扱ってきた「さみしい」という感情に気づけた

圧倒的に「さみしい」んだなと、
私の気持ちに気づけた。

気づけたというより、
無いものとして、見ないようにして、
ずっと押し込めて、我慢していた感情だ。

孤独とはまた違う。
私のまわりには人はいる。
友人、家族、親、きょうだい、配偶者、子ども。
だから、さみしいわけないはずなんだけれど、

それでも「さみしい」と感じるならば、
私が、
私のがんばりを認めてほしい、私自身を認めてほしいのに受け入れてもらえない、という
履き違えた妄想で苦しんでいるか、

私が本当の気持ちを抑えて、我慢してその人たちと一緒にいるから、辛くなってしまうのか、のどちらか。

前者は、
私が私自身を受け入れてあげられないと、
人に求めても足りなくなり、永遠に満たされないから、
私が私自身を受け入れ認めて、満たしてあげるしかないし、

後者は、
私が我慢するのをやめればいい。

いずれにしても、
押し殺してきた「さみしい」という感情を
表に出せるようになり、感じれるようになって良かった。

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