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名大で初めて○○した日vol.15 はじめて地獄(?)の細道に足を踏みれた日

 季節もすっかり春を過ぎ、少しばかり汗ばむ季節となりました。数か月ぶりとなりますが「名大で初めて○○した日」シリーズをお届けいたします。今回は、生命農学研究科・榊原均教授に在学時代の思い出についてご寄稿いただきました。榊原先生は名古屋大学農学部を1988年にご卒業されております。令和5年秋の褒章では紫綬褒章を受章され、今をトキメク「時の研究者」でございます。そんな榊原先生ですが、学部生時代はと言いますと・・・

はじめて地獄(?)の細道に足を踏みれた日


生命農学研究科 榊原 均 教授

 今年の4月に「地獄の細道が今年も開催」という記事を、SNSで目にしました。「へえ、まだ続いているのか」とその時は思っただけでしたが、改めて思いを巡らせてみると、私の大学生活を方向づけた非常に重要なイベントだったことに気づき、今回のトピックとして書かせていただくことにしました。

 今から40年前の1984年の3月中旬、私は入学手続きのために名古屋大学を訪れました。事前に大学から送付された入学手続き案内の中に、地獄の細道の情報もあったのかもしれません。ただ、学生便覧や生協の案内などに埋もれて、私は全く目に入れていませんでした。

 教養部棟(現在の全学教育棟)で無事に入学手続きを済ませ、早々に帰ろうと出口を探しながら、新入生の流れについていったところが、細道の始まりでした。初めはいくつかのサークルが勧誘ビラを配っているな、くらいにしか思いませんでしたが、そこは名前の通り、狭い廊下と教室に、サークルや部の勧誘ブースが延々と並び、それぞれに熱烈な勧誘をする部員学生と新入生でお祭り騒ぎ的な喧騒状態で、「なんなんだこれは?」と思った記憶があります。経路も建物の複数階に渡り、なかなか終わりが見えません。まだ高校出たてで純朴だった私は、最初のうちは1つ1つ丁寧に話を聞いていたのですが、どこまで進んでも終わらない勧誘に途方に暮れました。結局、建物から出られたのは2時間近く経った後でした。

 その勧誘の中に、私が在籍することになったアイスホッケー部もありました。明確な記憶はないのですが、勧誘していた先輩部員から「高校からの延長じゃ面白くないでしょ。大学でしかできないスポーツだからチャレンジしてみよう!」という意味のメッセージをもらったと思います。私は中高とテニス部でしたが、大学では体育会系の部に入る気は全くなく、高校生の頃は、「大学に入ったら、女子大生もいるテニスサークルにでも入って青春を謳歌するんだ!」と、いろいろ妄想しながら受験勉強をしていました。しかし、結果的にチャレンジ精神をくすぐるそのメッセージが琴線に響き、アイスホッケー部の門を叩くことになりました。それは高校生の頃に抱いてたイメージとは対極的な大学生活を送ることが運命付けられた判断でもありました。

 それからの4年間は、全てがアイスホッケー部を中心に回る学生生活になりました。昼は部活動費用を稼ぐためのアルバイト、夜はリンク上での非常に厳しい練習で、昼夜生活が逆転、単位取得は疎かになり、当然の如く教養・学部の成績は散々でした。その一方で、厳しい練習を耐えた先にある勝利の喜びや、七帝戦への遠征、厳しさの中にも優しさのある上下関係など、多くのことを学び、昭和末期の大学生活の醍醐味を満喫しました。大学4年の12月に部活を終え、大学院入学から心機一転して研究の道を志し、現在に至ります。

#27 榊原先生 1988年生協卒業アルバムより

 ただし、大学の教養課程・学部での勉強をおざなりにしていたことを後悔することが今でも度々あります。自分の専門分野以外の知識があまりに乏しいからです。知識吸収力の高いうちに幅広い学問分野に取り組んだかどうかの違いは、20年後、30年後になっても響きます。私は名古屋大学が提供する「最高水準の知」の吸収を、部活動を言い訳にして疎かにしていたのだと思います。ただ、もし今時間を巻き戻せて、大学入学からやり直せるしたとしたら、どうしていただろうと考えてみると、やはり私は40年前と同じくアイスホッケー部のような大学にしかないハードな部活に入っていたのだろうと思っています。その意味で地獄の細道は、私の中に潜んでいた挑戦心に気づかせてくれたイベントだったのです。

 最近は入学手続きもオンライン化されたことから、地獄の細道の開催様式も変化したようですね。ただ、形はどう変化しても、新入生の心の奥に潜む好奇心や挑戦心をくすぐり続けるイベントであることを祈っています。


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