少ないもので暮らす、とは(弱者の場合)。

厳選されたもので、お気に入りのものだけで、一軍だけで、よりよい暮らしをする。余計なものがなく研ぎ澄まされ美しい生活は、ある程度の比較検討が出来る余裕がないと、ただの清貧に限りなく近しいよな。

金がないから金を使わない。金を使わないからモノを買わない。どれが自分にとってのベストかはある程度の品数を使ってみないと判断出来ないし、亜種しか知らずにいながら、精鋭などとどの口が嘯くのか。てっぺんを知らずして、それっぽいものでよいと云い切るのは恥かしい。本物は滅茶苦茶良いかもしれないし、対したことないかもしれないし、滅茶苦茶良い良さを自分には理解できないだけかもしれないし。

何が欲しいとかはない。欲しいものがない。強いていうなら家が欲しい。家賃がかからない生活をしたい。不動産はちょっと買い物してくるわというテンションで買うようなものではないし自分にそんな財力はない。

ただただ金を使いたいだけのとき、生活の余剰物を買う余裕が欲しい。金銭面もだけれど、精神面にも余裕がないと何も買えなくなる。わからなくなるから。

失せものの食品すら何を買うべきかわからなくなり、コンビニをぐるぐるしても結局何も買えずに店を出たりする。帰宅しても食べるものがなくて冷凍した米にふりかけのみを食べるとか。

必要に迫られたものしか買わない生活を続けていると、厳選された品以外淘汰されていくので、ミニマリスト的な感じになってゆくのだけれど、年単位でそういう生活を続けていると、牢屋かよ的な部屋になったりするんですよね。非常に似非ミニマリストっぽいかんじの装飾のない空間に。加えて、物が少ないと、新たなものを空間に加えるハードルが高くなり、物が増えるのがストレスになったりしますし、何かを買うという行為は気力がいる。選んだり、支払いしたり、管理したりは気力がいる。疲れる。

これは自分の症状なのだけれど、色が空間に飛散していると精神が削れるので、部屋にあるものの色を統一していて、機能的に色がついたものしかみつけられないときは塗装している。白艶無し。艶があると疲れるのでクリアコートはかけない。面倒くさいけれど、塗りつぶさないと異物に落ち着けないので塗装するしかない。

それた。

戻る。わからなくなると、金があってもなくてもどうしようもないんですよね。貧すれば鈍んす、とはよくいったもので、こころが貧しくなると鈍麻する。わからなくなる。

生活費収入確保のために週3でアルバイトをしているのですが、多分、仕事がこころに負荷をかけ貧しくしている(仕事以外は外界と接点がないので、他の要因が思い当たらない)。週3でも自分には無理っぽいようで。凄いね、世の社会人。いや、自分も去年までフルタイムで働いていたのですが。

贅沢品が欲しいわけでもなく、贅沢な暮らしをしたいわけでもなく、精神が乱れることなく平らに平らに静かに閉じていきたいという欲しかないのですが、生きていくためにはお金がかかるのでどこまで諦めるかが難しいですね……。

鈍麻し続ければ、わからないこともわからなくなるし。

まあ、それをずっと続けていたら無理になって今に至ったわけですが。


ふりだしにもどる。

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