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こんじゅりさんとの邂逅

こんじゅりさんとの最初の出会いは、彼女のNote記事だった。

慌てて裁縫した心の傷を両手で抑えて、なんとか縫い跡を繋ごうとしている。彼女の奥に徐々に広がる漆赤が、文字のひとつひとつから見えるようだった。

私は、映画をつくることも、漫画を描くのも、こうして文章を描くのも、「昔の傷を思い返さないため」が理由だったりする。表現をしている間だけ、不幸な自分を忘れることができる。

小学生の頃、ひどいアトピーで、同級生にいじめられた。担任に相談すると、担任はいじめ側に加担した。私だけ給食を出してもらえない。校長に話すと鼻で笑われた。

怒りが、少しずつ悲しみに変わった。それを忘れるために、物語を描いた。

こんじゅりさんのNote記事も、そうした理由から、紡がれているように思った。

あくまで私の想像である。そうではないかもしれない。

私の、あくまで私の、個人的な、彼女の印象は、傷つきながら前に進み続けている。誰かに傷つけられても、その人を責めずに、「前に進む」ことで、怒りや悲しみという強敵を追い払おうとしている。

誰かを責める自分が現れるのを拒み、ただひたすら、わずかに差し込む光に手を伸ばし続けている。

彼女は光の粒を、ひとつずつ、確実に掴んで、それを胸奥へ差し込んでいる。その粒が彼女をまた、輝かせる。

彼女が明るく前に向かう姿は、私の背中をいつも押す。弱々しく心境を吐露する彼女の言葉が、私を明日へと引っ張り込む。

じっと片隅に座る私の胸ぐらを引き、青天に放り投げられるような。

彼女が差し出す光の粒が、私の「明日」だったりする。

(文・小池太郎)

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