君たちはどう生きるか

14時とかの映画館に社会不適合面をして観に行くのが最も美しかったのだろうが生憎にも外せない用事があり17時頃に開場の回を観た.
いかにも我大学生であるぞと訴えかける風貌のものが多く嫌悪感を覚えたがスーツを着たものがみられないのは気分が良かった.

見漁るまでもなくTwitterなどで流れてきた感想は宮崎駿を主人公に投影するものが多かったが,私は映画を観に行ったのであり映画を通して何らかの人物を観に行ったのではないのだから映画の感想を書こうと思う.

自傷

引っ越した先で貧乏な周りの生徒とは違う主人公はいじめられる訳だが帰路において自傷をしそのまま帰宅することで父親を大層心配させようとする.
工場を運営している父は金銭的にも地位的にも学校なんてものよりも上にあるようで即刻文句を言いに行くわけだが,主人公は学校に報告するように父親に頼むようなこともせず寡黙であり続ける.
感情移入に向いていない作品であったが序盤のこの頃は理解しておらず主人公に感情移入していた(もしくは主人公を純情なものと捉えていた)私は「いじめられたという事実を忘れないための自傷」であり父親に何も言わないのも「無為な心配をさせないため」の子供ながらの考えだと思っていた.
最終的に他者による世界の維持を受け継ぐか問われたときに自傷を悪意とし断ったことから「いじめの被害をかさ増しするための自傷」であったとわかるわけだが,この頃になると主人公の性格などもみえ納得できる.
しかし未だ残る疑問は悪意の内容であろう.いじめの被害をかさ増ししたという事実が悪意によるとしても,その悪意の内容はまた様々になる.
映画を観ていたときは「かさ増しをするという嘘をついたこと」と「他者の社会的権力に頼ったこと」の2つの候補が思いついていたが,後に考えてみると他者が築いた(もしくは維持した)世界を壊すことを選んだ主人公なのだから後者があたるように思える.

向こうの世界の記憶

向こうの世界の記憶が保たれた理由が(主人公由来のものでは無いと)完全に明かされ,どうせ子供だからすぐに忘れる,との大人のポジションのキャラクターによる発言はかなり印象的だ.
子供の頃の記憶というのは得てして混濁していて,私にも印象的な夢だったのか素晴らしき体験だったのかはっきりしない記憶が残っている.
それでもジブリの映画という子供が多く観る映画(という特別な体験になりやすい形式)で夢か現か幻かわからないシーンを差し込み世界を移動しキャッチーな殺人をするキャラクターを登場させておいて,この発言だ.
人格形成期に大人による純粋な侮慢の存在に気づく者は多くなく,少数派の彼らはどうにも生きにくい人生を送っているように感じているわけだが,映画にて言及されるというのは多数の者を恰も少数であるとの認知を抱かせ,少数の者には多数であると失望させるように感じてならない.

世界の維持

本の虫が最終的に世界を見守る立場になるというのは道理のように感じるわけだが,世界の維持を血縁者に託すにおいて対象者の自由意志を重視することはあるのだろうか.
横槍が入り世界が崩壊を辿り,緊急の場において大叔父は再婚者を連れて逃げるように主人公へ言うわけだが,世界が崩壊し始めなかったらどうなっていたのかは気になるところだ.
自分の維持しない世界に興味が無いのであればオウムの独裁者にでも引き継げば良いのだろうが血縁者に拘るというのは,これについては宮崎駿に繋がる話しか出来ないように感じるので略.

父親

  • 妻が死んだから妻の妹と結婚する

  • 敢えて転校初日に車で登校させる

  • 地位を私用し学校に苦情を言いに行く

  • サイパンが落ちたおかげで工場の調子がよい

  • 子供の怪我をみても三言目には社会情勢の話を始める

と気持ち悪い点は多かった.もっとも気味が悪いのはこの父親を(理解したうえで)受け入れている主人公だろうが.
受け入れてはおらず家族を大事にするが故に父親が好きという理由で再婚者を取り戻そうと動いたとも考えられるが,いじめへの対応をみると受け入れているとするのが道理のように思える.
原作を読んでいないのだが,どうやらエリートの生き方に関するようで,父親の地位を使うというのが冷静で合理的とされているのならば忠実で良いのだろう(ペリカンを赤子になる魂と共に焼いた時に長期的には赤子になる魂に有利なのに短期的な損得をみて批判するあたり主人公が合理的なつくりになっているとは思えないが).
このあたりは原作を読んでみないとなんとも言えないが,どうにも私には「子供は純情で認知能力が低い」状態にあって欲しいきらいがあるために歪んだ感想になっているようにも思える.

君たちはどう生きるか

他者の世界に生きないだとか友達と共にあるだとか説明的で生き方について色々と説法を説いてきたわけだが,私としては若かりし頃の母親が火事で死ぬことをわかった上で現実世界へ(火は得意だからと主人公を安心させながら)戻ったことが全てだったなと感じる.
セカイ系の流行りは0年代から飛び出し君の名は。で大衆的になったわけだが,その一方で「私は私の人生を生きる他に無い」と提示してきたように思えた.

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